2006年03月08日

姫路城の奇跡



太平洋戦争姫路城の白壁は非常に目立ち、また陸軍の部隊が置かれていた姫路はアメリカ軍の爆撃対象とされることが明らかだったため、黒く染めた網で城の主要な部分を覆い隠しましたが、1945年7月3日に大空襲にあい、城内にも着弾します。しかし、本城跡にあった中学校校舎が焼失しただけで、城本体は奇跡的に炎上を免れました。
なぜ、姫路城は爆撃されなかったのか。

戦火逃れた奇跡の遺産 姫路城(asahi.com)によると、

1989年、姫路獨協大副学長だった四宮満さんは、防衛庁米国大使館などを訪ね、膨大な米軍資料から手がかりを探したり、元搭乗員に聞きましたが「城の存在すら知らなかった」という証言ばかり。四宮さんの結論は「単なる偶然」。

しかし、朝日新聞の記者があらためて取材したところ、米軍の爆撃機B29の機長で、当時24歳だったアーサー・トムズさんは、「編隊は、みな同じコースを飛んで爆撃した。城を避けるように計画されていたとしか思えない。証拠はないけれど」と語っていたと言います。

「姫路城の奇跡」の解明は、後世の歴史家に委ねられるのか、それともこのまま闇の中なのか。

参考
国際観光都市の秘密(372log@姫路) - 明治新政府に解体されそうになった姫路城を救ったのは・・

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Posted by miki at 00:01Comments(9)歴史