2007年04月15日

浮かれず地に足をつけていく播州人



姫路出身のお笑い芸人・ぜんじろうさんが、姫路おでんの歌をつくった関係で、朝日新聞の取材を受けたそうです。

播州人(ポジぜん)
地を掘って地殻の芯までつきとおす程の痛烈さの精神が播州人の作家には、あるとの事。。。
これは、江戸時代以降に、播州が農村の素朴さをのこしつつの、才気を重んずる都市風商品経済もほどよく絡み合っての事らしいです。
播州は学問がどこよりも早く、農村に浸透していた。からだそうです。

最近、江戸時代が見直される動きがあります。これまでは「鎖国していたから文化が遅れていた。明治になって海外の文化を取り入れて急成長した。」という文明開化論が幅を効かせていたのですが、「江戸時代は、鎖国しても困らないほど平和で豊かだった。寺子屋が盛んで庶民でも読み書きができる世界でも類を見ない水準。こういう下地があったからこそ明治維新を契機に急成長できた。」という説です。
世界に類を見ない勉強熱心な国で、「どこよりも早く学問が農村に浸透していた」播磨は、世界一学問水準の高い地域だったということでしょう。
こうした下地があるからこそ、浮かれず地に足をつけていく播州人が多くいるのでしょうね。

参考
【正論】青山学院大学教授・袴田茂樹 世界に通用した江戸時代の日本人(Sankei WEB) - 江戸時代では、地方の村の庄屋や世話役クラスの人物でも、世界のトップの社交界でさえも「人物」として一目置かれるだけの精神的な資質と人格を有していた者が少なくなかった。(記事より)
『江戸時代は良い時代!』(テクノスジャパン) - この時代、世界に目を向けても、一般民衆が勉学した実態は皆無である。江戸はもちろんのこと、全国津々浦々に一般民衆の学校「寺子屋」ができた。ここにはどんな階級の子供でも通って学べたのである。例えば、江戸時代の終わりには全国に約45000の寺子屋があったと云う。これは実に驚くべきことである。(記事より)

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Posted by miki at 00:00Comments(0)出身