2013年01月30日

尊敬する政治家。レーニン、サッチャー、鄧小平


大西広著「資本主義以前の「社会主義」と資本主義後の社会主義」(大月書店)

たまたま大西広慶大教授(前京大教授)の自己紹介を見ていたら、興味深い内容が・・(京都大学のサイトより)
統計学は経済理論や思想と不可分との信念の下でそれら全てに手を広げています。また、近経マル経の両方に同じウェイトをかけて研究している数少ない人間のつもりです。尊敬する政治家は、レーニンサッチャー鄧小平。特に最近は、中国と漢民族の文化と「知恵」というものに惚れ入っています。「天皇の民営化」がモットーです。
統計学と思想と近代経済学とマルクス経済学、それに中国文化に興味があって、レーニン、サッチャー、鄧小平を尊敬するって?

何じゃこりゃ。

と思って、「大西広」が頭の中をグルグル回っていましたが、数日後気づいたら、Amazonで中古本を購入していました。

大西広著「資本主義以前の「社会主義」と資本主義後の社会主義―工業社会の成立とその終焉」(大月書店)
マルクス主義はけっして「反資本主義」ではない。真のマルクス主義=史的唯物論とは、その時代その時代に最も必要な(=生産力発展に最も必要な)社会体制を築こうとするのであって、社会主義が必要なときにのみそれを求め、資本主義が必要なときにはそれを求める。その意味では、この鄧小平ほどマルクス主義的な政治家は少ない。
マルクスって、資本主義は資本家が労働者を搾取するから駄目。だから社会主義社会をつくろうよと労働者にハッパをかけた人じゃなかったの?
未成熟な社会では国家が積極的な役割を果たしうるが、逆に社会の成熟化はその国家を不要化する。要するに、国家の縮小は歴史の大局において前進である、ということである。
この長期的展望は、実はマルクス主義の「国家の死滅」のテーゼと完全に一致する。
え? マルクス主義って、新自由主義だったの?
今まで旧ソ連や東欧や中国等にいた「社会主義者」はほとんどたんなる権力志向の者たちにすぎなかったから、彼らが「国家の死滅」の課題を無視したのは当然
(中略)
レーニンは、先の引用文の数ページ後で、カウツキーベルンシュタインらの社会民主主義を「国家社会主義」だと規定して、「社会主義」を名乗る「国家主義」をきびしく批判した
経済学は、いつの時代にも必要とされるものだし、場合によっては古典の解釈も変わるのかもしれません。
若い学生さんには、大いに期待したいものです。

大西広研究会のサイトより
真のエリートとは自分のことより社会のこと他人のことに気を配り、それに貢献しようとする人間だと言いたい。世の政治、経済は混乱の極みであり、こんな時こそ真のエリートが求められている。大きなことができるか小さなことしかできないかではない。生き方に迫る新しい経済学を学生諸君とともに作り上げたいと考えている。
参考
新自由主義を推進する「マルクス主義」学者大西広氏の「新しい市民革命論」を批判する(さざ波通信)
「精神的社会主義 - 制度的資本主義」で行こう(372log@姫路)
蘇る?マルクス経済学者(372log@姫路)

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Posted by miki at 23:42Comments(2)政治