2006年06月18日
湯沢山・茶くれん寺
法輪寺(姫路市井ノ口)。湯沢山・茶くれん寺の別名を持つ。
姫路市立荒川小学校の北隣に、「ちゃくれん寺」というお寺があります。私が小学校時代は、別になんとも思わなかったのですが、後に「茶くれん寺」、つまり「お茶をくれない寺」という意味だと知り、「そうか、ケチな寺なのか」と思っていました。
最近になって知ったことですが、豊臣秀吉が英賀城(姫路市飾磨区)攻めの時に立ち寄り、茶を所望したのに白湯(さゆ)しか出てこなかったため、「湯沢山(たくさん)、茶くれん寺か」と大笑いして立ち去ったため、茶くれん寺と言われるようになったそうです。
秀吉があまりに軽装だったので、気づかなかったそうで、決してケチなお寺ではないのですね。
P.S.
英賀城は、姫路市立英賀保小学校と山陽電車夢前川駅の間あたりにあった、戦国・播磨三大城の1つ。あとの2つは御着城(姫路市御国野町)と三木城(三木市)。
参考
新選組の刀傷が姫路にある理由 - 新選組ゆかりの亀山本徳寺(姫路市亀山)は、秀吉が英賀城を攻めるまでは英賀本徳寺として英賀にありました。
← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
姫路市立荒川小学校の北隣に、「ちゃくれん寺」というお寺があります。私が小学校時代は、別になんとも思わなかったのですが、後に「茶くれん寺」、つまり「お茶をくれない寺」という意味だと知り、「そうか、ケチな寺なのか」と思っていました。
最近になって知ったことですが、豊臣秀吉が英賀城(姫路市飾磨区)攻めの時に立ち寄り、茶を所望したのに白湯(さゆ)しか出てこなかったため、「湯沢山(たくさん)、茶くれん寺か」と大笑いして立ち去ったため、茶くれん寺と言われるようになったそうです。
秀吉があまりに軽装だったので、気づかなかったそうで、決してケチなお寺ではないのですね。
P.S.
英賀城は、姫路市立英賀保小学校と山陽電車夢前川駅の間あたりにあった、戦国・播磨三大城の1つ。あとの2つは御着城(姫路市御国野町)と三木城(三木市)。
参考
新選組の刀傷が姫路にある理由 - 新選組ゆかりの亀山本徳寺(姫路市亀山)は、秀吉が英賀城を攻めるまでは英賀本徳寺として英賀にありました。
← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
Posted by miki at 06:25│Comments(2)
│歴史
この記事へのコメント
あら〜
へぇ〜自宅に近いのに知らなかった(^^;
Posted by e-de at 2006年06月18日 17:42
e-deさん
コメントありがとうございます。
お寺の前の道路に説明書きを詳しく書いた掲示板がありました。
Posted by miki at 2006年06月18日 23:55