2013年11月03日

姫路の風景 ~播磨屋本店・姫路店~

播磨屋本店・姫路店(姫路市市之郷町

「天皇に手紙を渡す」。
今まで考えたことが無かったのですが、少なくとも国会議員が手渡すと大手メディアが騒ぐことはわかりました。

山本太郎議員 園遊会で陛下に文書(NHKニュース)
31日、東京の赤坂御苑で開かれた秋の園遊会の会場で、両陛下や皇族方が招待者と歓談していた際、招待者の1人で参議院議員の山本太郎氏が、天皇陛下に手紙を手渡す出来事がありました。
NHKは「出来事」と表現しています。
まぁ、珍しいということですね。

国会議員でないかたが渡すこともあるようです。

社主 播磨屋助次郎のプロフィール『今日までの歩み』(播磨屋本店)
1993年(平成5年) 45歳 9月20日、現皇太子殿下より赤坂仮御所に招かれ、論文「環境問題抜本解決への提言」を、殿下ご本人に手渡し献上する。
1994年(平成6年) 1月2日、再度赤坂仮御所を訪ね、皇太子殿下の人間的覚醒を強く促す上奏文を手渡す。
プロフィールにわざわざ載せるほどの「出来事」だったわけです。

播磨屋さんは、手紙では飽き足らず、トレーラーにメッセージを書いて都内を走り回っているようです。
2010年12月の記事ですが、

「天皇に直訴申し上げます」都内に突如、街宣を始めた大型トレーラーの正体とは?(週プレNEWS)
今月に入り、都内の皇居および銀座霞が関周辺で目を疑うような光景が繰り広げられている。ボディに“強烈すぎる”メッセージをペイントした真っ白な超大型トレーラー10台が車列を組み、走り回っているのだ。
ボルボの大型トレーラー10台が都内を走り回っているという記事。内容は「直訴」。

先月も数台走っていた模様(参考 おかきの播磨屋 街宣トレーラー車列 (2013年10月) )。
こちらの「出来事」は(私が知る限り)大手メディアは報じません。

姫路では昔からメジャーな「はりま焼き」ですが、通信販売の発達で、今では全国に店舗やファンを持っています。
播磨屋本店のHPは直訴文付きのトレーラー画像で埋まり、異様な感じですが、姫路店は現在も落ち着いた雰囲気のお店です。

なお、「播磨屋本店」の創業地は朝来市生野町、現在の本店は豊岡市で、いわゆる播磨の地とは直接関係ありません。
でも、播州といえば「赤穂」、播磨と言えば「はりま焼き」を連想する人もいるほどの影響力があります。

トレーラーの文言に、あまりに品位がないものが含まれないことを期待します。

参考
おかきとせんべい・飲み物も無料のカフェ。播磨屋ステーション(372log@姫路)
日本一のおかき・はりま焼(372log@姫路)

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Posted by miki at 09:22│Comments(2)観光
この記事へのコメント
記事には、「近々阻止するための行動に出たいと思っているよ」と書かれていますが、トレーラーが右翼の街宣車に追いまわされて、這々の体で逃げ帰ってきたと聞いたことがあるのですが、実際のところどうだったのでしょう。

>いわゆる播磨の地とは直接関係ありません。

生野本社工場(旧本社?)の場所は、昔は播磨国(神西郡森垣村)だったりします。
江戸時代の播但の国境は、生野代官所(生野小学校付近)の南側にあった堀(両国川)だったそうです。

>姫路店は現在も落ち着いた雰囲気のお店です。

以前通ったときには、生野総本店には数台のトレーラーが停められていました。お客さんも減っていたように思います。
最近通ったときにはなくなっていましたが。
Posted by たー@尼 at 2013年11月15日 02:34
wikiより
>1862年(文久2年)現在の朝来市で「播磨屋」創業(油売り業)
>1889年(明治22年)森垣村が朝来郡になる
>1948年(昭和23年)菓子製造業に転じた。

たー@尼さんより
>生野本社工場(旧本社?)の場所は、昔は播磨国(神西郡森垣村)だったりします。

1 油売り業「播磨屋」の創業が当時の播磨国だったかどうかは不明ですが、
  森垣村が創業であれば、創業時は播磨
2 菓子製造業に転じた時点では旧但馬国。
  ただし、森垣村が但馬国になったことはない

ということで、おそらく油売り業創業時に播磨国だったので「播磨屋」
と命名し、菓子製造業に転じたあとも、その名称を継承したということですね。

お菓子作りを始めたときも旧播磨国の地域(=播磨文化圏内)だったのですから、播磨と直接関係ないというのは(言えなくもないけど)あえて言う必要もないと思いました。
Posted by mikimiki at 2013年11月24日 10:07
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