2005年04月19日

空襲犠牲者を追悼する唯一の建物

手柄山中央公園の山頂に建つ慰霊塔

「軍人は手厚くまつられ、民間人には何もない」(読売ONLINE関西 戦後60年記憶をつなぐ)
「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」。戦後11年の1956年10月、姫路市長の故石見元秀が提唱し、全国から8000万円の募金を集めて建設された。日本中の空襲犠牲者を追悼する唯一の構造物だ。「同じ戦争での死でも、軍人は手厚くまつられ、遺族への補償もあるのに、民間人には何もない。おやじはそれを憤っていました」。石見の三男で、現市長の利勝(63)はそう振り返る。

 石見は46年、市長に就任し、全国の首長に呼びかけて翌年1月、「全国戦災都市連盟」を結成。自ら会長となって国に復興財源の増額などを働きかけた。

首相官邸のサイトでも、追悼施設として紹介されています

施設の所有者で、東京都を含む全国109都市が加盟する財団法人太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会の会長は姫路市長。

10月に首相代理が平和祈念式に参列している模様。小泉首相は靖国神社に参拝するなら、手柄山にも来て欲しいものです。

参考

手柄山中央公園の慰霊塔、平和のシンボルと発信(毎日新聞)

← クリックして頂けるとRankが上がります  

Posted by miki at 00:01Comments(2)政治