2014年02月03日

安室・高岡・荒川は、旧夢前川跡3兄弟

姫路市立荒川小学校姫路市井ノ口

岡田准一さんの大河を見ていたら、青山・土器山の戦いの場面が出てきました。

青山・土器山の戦い(wikipedia)
3,000の兵を率いた赤松政秀小丸山に布陣し、対する黒田軍は夢前川東岸にある土器山(現・瓦山。一説に現・船越山)に陣を張った。
夢前川を挟んで対峙するような地図が画面に出てきたのですが、この当時、夢前川がこの場所にあったかどうかは、自分自身よく理解できていません。

姫路の風景 ~夢前橋~(372log@姫路)
当時夢前川は横関から今宿、荒川地区へ流れていました。現在ある夢前橋付近の夢前川は、江戸時代に、姫路藩榊原忠次が付け替えたものです。
私が通っていた荒川小学校の「荒川」という名前。もともと夢前川が流れていて頻繁に氾濫していたようで、「荒れた川」→「荒川」となりました。

フォトアドベンチャーの冒険しょう! (フォトアドベンチャー)
安室・高岡・荒川あたりは、もともと夢前川が流れていた場所で度々洪水が起こり、それが荒川(荒れたる川)の地名のもとになったようです。
予測地図が掲載されていますが、旧夢前川は、安室小学校高岡小学校 → 荒川小学校の場所を流れていた模様。安室・高岡・荒川は、旧夢前川跡の3兄弟みたいなもの。

夢前川水系河川整備基本方針(兵庫県)
江戸時代の明暦2年(1656年)には、姫路藩主だった榊原忠次が夢前川の堤防工事を行った。榊原忠次は、それまで御立地先より今宿地先を経て英賀地先へ流れていた夢前川を、横関から青山に流す堤防工事を行い、それまで下流で起きていた災害を防止した。横関という地名の由来は、堰を築いて流れを変えたことによると言われている。
青山・土器山の戦いが1569年なので、「本当に夢前川を挟んで対峙していたの?」と思いました。
黒田軍が名古山に陣を張っていたのならわかりますが。

P.S.
名古山に陣を張っていたほうが、姫路市が観光強化を目指す名古山が注目されていいかもしれません。

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この記事へのコメント
菅生川の流路は変わってないから、多分菅生川を挟んで対峙。
川が流れるのが自然な地形。
夢前川をいじったのは、榊原と言われてるようやから、大阪夏の陣が終わって安定期の領国経営の一端では?xet
Posted by やまもと at 2016年11月05日 22:13
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