2017年09月21日

歴史が教えてくれる本物の一品

織田信長 銅像(愛知県清須市

L字ファスナーが使いやすい 高級ヌメ革の長サイフ(週刊アスキー)
使うごとに色濃く鮮やかになっていくヌメ革を使用した「L字ファスナー長財布」を紹介します。
内部は姫路産の牛革総革張り。
姫路産の牛革がいかに高級かというのは、歴史上証明されています。

信長も称賛!“姫路皮革”千年の歴史たどる特別展(神戸新聞NEXT)
姫路を中心とする播磨地域の皮革産業は、平安時代の書物に記述が残り、千年以上の歴史を持つ。
(中略)
戦国武将・織田信長や、江戸時代に日本を訪れた医師シーボルトも称賛するなど、高い評価を得てきた。
何せ、時の権力者でわがまま放題の信長が愛用したというのですから、間違いなく最高級品。

参考
世界ブランド 「Himeji Leather」(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 20:30Comments(0)歴史

2017年09月19日

播磨発祥「敬老の日」

敬老の日発祥のまち多可町 敬老のうた

昨日は敬老の日でした。
従来9月15日に制定されていましたが、2003年から9月第3月曜日に変更されました。
ところで、敬老の日は、播磨が発祥なのをご存知でしょうか。

敬老の日 多可町発祥・50周年 秋篠宮ご夫妻、式典に出席 /兵庫(毎日新聞)
敬老の日は旧野間谷村(現・同町八千代区)の村長だった故・門脇政夫氏が1947年に村主催の敬老会を始め、翌年、村独自の祝日として9月15日を「としよりの日」と定めたのが始まりで、66年に国民の祝日に加わった。
母の日は米国フィラデルフィアが、父の日は米国ワシントン州が発祥で世界中に広まったようです。

しかし世界的に見ても、敬老の日が祝日に制定されている国はないようです。
日本の、播磨の先進性が光ります。

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2017年03月11日

世阿弥の教え。「時分の花」と「まことの花」を間違うな

世阿弥(Wikipedia)

通信販売は東京でなくても、どこでもできる。さらに通信販売だからこそ、消費者の顔が見えるとは、ジャパネットたかた創業者の弁。

東京と地方の格差 言い訳にすれば「負け」(NIKKEI STYLE)
電話でも消費者の顔が見えるのです。店頭は相対して商品を売っても買っていただいた人の名前も残っていないことがほとんどですが、通販は住所も名前も残るし、お客様の要望などのご意見も残せる仕組みがあります。
今も長崎県佐世保市を拠点にされています。

「モノを伝えるのではない」高田明氏の新連載(NIKKEI STYLE)
時分の花とは、若い人が持つ若さゆえの鮮やかで魅力的な花のことですが、盛りが過ぎると散ってしまいます。これに対し、まことの花とは日々の鍛錬と精進によって初めて咲く花を指します。人間は修行によって本当の花になって感動を与えられるようになる。
人は自己を更新し続ける努力、謙虚さや真面目さが必要といいます。

65才の初心、70才の初心というものがある。
若さ故の鮮やかさに頼って自己更新しなければ、まことの花は咲かない。
まことの花を咲かせることができるかどうかが、感動を生むことにつながるのですね。

高田さんのテレビショッピングって、何か感じるものがありました。
買ったことはありませんが・・

参考
ジャパネット高田明「私が引退を決めたワケ」(東洋経済オンライン)
風姿花伝(wikipedia)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:16Comments(0)歴史

2017年02月14日

日本は鎖国していなかった



中国メディアも不思議に思う、明治期以降の日本の成功。

鎖国と富国強兵、日中は同じことに取り組んだのになぜ差がついた?=中国報道(サーチナ)
中国と日本は過去に同じように鎖国を行い、それを取りやめて同じように富国強兵に取り組んだのに、なぜ日本だけが成功したのかと疑問を投げかけている。
ひとつの見方として、日本が実は鎖国していなかったということがあります。

江戸幕府が「鎖国」していたという大きなウソ(東洋経済オンライン)
「鎖国」と呼ばれていた17世紀半ばから19世紀半ばにかけてのこの頃、幕府は完全に海外との交流を断っていたわけではなかった。長崎以外にも、対馬・薩摩・松前の3つの外交窓口を開いていたのだ。この4カ所を「四つの口」体制という。
(中略)
「鎖国」と記すのを避けた教科書が増えてきたのは、90年代半ばから
全く海外から孤立していたら、開国してすぐさま発展するわけありません。

教育も変わります。

学習指導要領 「鎖国」が消えた 小中学校の社会科から(毎日新聞)
文部科学省が14日発表した次期学習指導要領の改定案では、江戸幕府の対外政策を指す言葉「鎖国」が小中学校の社会科から消えた。
鎖国も孤立もしたらダメ。他国に知恵や資源があれば、有効活用したほうがいいと思います。

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 23:04Comments(0)歴史

2016年11月05日

「真田丸」と後藤又兵衛

後藤基次(又兵衛)(Wikipedia)

NHK大河「真田丸」は、実質視聴率25%近い?

大河ドラマ『真田丸』が自己ワースト視聴率更新も、NHKが慌てないワケ(日刊サイゾー)
『真田丸』第40話(9日)のタイムシフト視聴率は、NHKによると6.7%もあったという。その週のリアルタイム視聴率は15.0%で、重複視聴を除いた「総合視聴率」は20.9%。BS視聴率は4.3%であったため、実質的な視聴率は25%近い数字になると見ていいだろう。
前回は番組の最後に後藤又兵衛の出身地・姫路やゆかりの加西が紹介されていました。

「真田丸」哀川翔 アニキキャラは又兵衛そのもの 現場のムードメーカー(Sponichi Annex)
俳優の哀川翔(55)がNHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)で「大阪五人衆」の“猛将”後藤又兵衛を熱演している。九州・黒田藩黒田孝高(官兵衛)に仕えた豪傑な武将として知られる又兵衛。
(中略)
自身が出演するシーンの撮影が始まる前、又兵衛出生の地とされる・兵庫県姫路市や、又兵衛が城主を務めた福岡県・大隈城跡を訪問。ゆかりの地の人々に又兵衛が愛されていることを肌身に感じた。
「死に場所を求めて大坂城(豊臣方)にやってきた」という又兵衛(哀川)に対し、「それなら徳川につくのがいい、ここに死に場所はない」という幸村(堺)

軍師官兵衛」以来あらためて姫路出身の後藤又兵衛に脚光が浴びています。

参考
哀川翔さん姫路の中学訪問 後藤又兵衛の魅力語る(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 09:27Comments(0)歴史

2016年05月25日

神風特攻隊「白鷺隊」

紫電改

播磨の地から、多くの若者が飛び立ちました。

「特攻の歴史」体現する鶉野飛行場 米英が恐れた最新鋭戦闘機「紫電改」も…戦後70年経て再評価(産経WEST)
鶉野(うずらの)飛行場」(兵庫県加西市)をご存じだろうか。第二次大戦中に姫路海軍航空隊の搭乗員を養成するために建設され、多くの特攻隊員が飛び立った拠点だ。
(中略)
《昭和20年2月8日朝。姫路海軍航空隊の司令、露木専治(つゆき・せんじ)大佐の訓示が響き渡った。突然の全員集合。思い思いの休日を過ごしていた同隊の訓練生らは鶉野飛行場に集められ、直立不動で訓示を聞いた。米軍との本土決戦に対抗するため、神風特攻隊「白鷺(はくろ)隊」が編成されることになった》
飛行場の隣接地では「紫電改」という最新鋭の戦闘機が造られました。

旧日本軍最大の現存飛行場は、播磨の遺産であり、日本の遺産。
戦争を風化させないために、鶉野飛行場の果たした役割を知る必要があるように思います。

参考
播磨の空港、鶉野飛行場講演会(372log@姫路)
よみがえる播磨の飛行場(372log@姫路)
旧日本軍最大の現存飛行場。加西の戦争遺産バスツアー(372log@姫路)
播磨の飛行場について考えるシンポジウム(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2016年04月04日

姫路男に京女

 千姫の小径(こみち)

歴史上の人物で、夫にしたい人ランキング1位、上司にしたい人ランキング5位に黒田官兵衛、妻にしたい人ランキング5位に千姫が入りました。

あなたが選ぶ○○な人~歴史上の人物ベスト5~(goo テレビ番組)
夫にしたい人ランキング。1位:黒田官兵衛、3位:真田信之、4位:土方歳三、5位:毛利元就。妻にしたい人ランキング2位:おね、3位:お龍、4位:新島八重、5位:千姫
姫路に関する人と言えば、姫路生まれの黒田官兵衛と、姫路に嫁いだ京都生まれの千姫。

東男に京女」と言われることがありますが、「姫路男に京女」と言ってみたいと思います。

参考
官兵衛効果で兵庫県がベスト10入り。注目の旅行先(372log@姫路)
北海道からも姫路へ。官兵衛効果で姫路沸く(372log@姫路)
姫路生まれ・黒田官兵衛を大河ドラマに(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2015年05月16日

注目される姫路城の支城・利神城

利神城跡(播磨佐用町

行ってよかった!日本の城2014の8位に輝く竹田城兵庫県朝来市)。「天空の城」として有名になりましたが、全国の山城がブームに・・。

「天空の城」過熱PR合戦 兵庫・竹田城がブーム火付け役(zakzak)
石垣が雲の上に浮かぶように見えるため「天空の城」と呼ばれる兵庫県朝来市の竹田城跡を訪れた観光客は昨年度、50万人を突破した。全国の城ファンの一大巡礼地となった感があるが、実は雲海から顔をのぞかせる城は少なくない。
播磨・佐用町にある山城が、国史跡を目指しています。

「天空の城」にも劣らぬ貴重な遺構 兵庫・佐用町の「利神城」、国史跡目指す(産経ニュース)
国宝・姫路城の支城として整備された佐用町の山城「利神(りかん)城」を国史跡にしようと、同町は今年度から本格的な調査に乗り出した。
(中略)
滋賀県立大中井均教授は「国史跡にして整備を進めることで、竹田城にも比肩する貴重な遺構を守るとともに、安全性を確保して多くの人にみてもらえるようにしてほしい」と話している。
専門家が竹田城にも比肩すると認める山城が、播磨にあって、それが姫路城の支城だと言うのですから、今後が楽しみです。

参考
ホルモンうどんコロッケが人気(372log@姫路) - 佐用町の道の駅「宿場町ひらふく」から望むことができます。

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 19:30Comments(0)歴史

2015年04月21日

姫路の人口増減 ここ10年

JRひめじ別所駅姫路市別所町

十年一昔と言いますが、ここ10年姫路もいろいろありました。

2005年 JRひめじ別所駅開業。姫路市営バスを神姫バスに移譲・統合
2006年 夢前町安富町家島町香寺町を姫路市に編入
2008年 JRはりま勝原駅開業。姫路菓子博開催
2009年 姫路城天守閣修理(2015年まで)
2010年 パナソニック姫路工場稼動開始
2011年 B-1グランプリ開催
2013年 駅ビル・ピオレ姫路開業
2014年 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」放映

さて、この10年で人口が増えた地域(校区)はどこでしょうか?

別所が突出しています。JRひめじ別所駅開業の影響があるのでしょうか?

P.S.
逆に減ったところは・・

(表のデータはいずれも旧4町が含まれていません。)

参考
別所土地区画整理事業(姫路市)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります

  

Posted by miki at 01:15Comments(2)歴史

2015年01月02日

吉田松陰が心酔した山鹿素行

官兵衛と光姫の婚礼シーン(大河ドラマ館

官兵衛の大河ドラマ館が今月10日の閉館を前に、明日まで無料になっています。

軍師官兵衛〝最後の追い込み〟 60万人達成へ姫路「大河ドラマ館」が正月無料開放(産経WEST)
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」をPRしてきた同市本町の「ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館」が、来年1月1~3日に無料開放する
ところで、今年の大河ドラマは「花燃ゆ」。
登場する吉田松陰は、江戸時代前期の儒学者・山鹿素行に心酔していました。
この山鹿素行に関する戦後の書物はほとんどないのだそうです。

日本こそアジアの盟主・・・山鹿素行(ねずさんの ひとりごと )
乃木大将などが絶賛したこの山鹿素行に関しては、なぜか戦後の書物はまるでありません。
戦後、GHQによる思想言論統制によって、焚書・発禁処分が行われた結果ですが、幕末の志士たちに強く影響を与えた吉田松陰が心酔し、赤穂浪士大石内蔵助の思想と行動に多大な影響を及ぼし、江戸武士道の原点となり、明治国家建設の基本思想ともなった山鹿哲学が、戦後60余念を経由して、いまだに、まったく研究もされず、書籍の出版もされないというのは、これはこれで、かなり異常な出来事といえるのではないでしょうか
したがって山鹿素行は誰もが良く知っているという人物ではありませんが、播磨赤穂には山鹿素行の研究会があります。

屋山太郎氏 素行の武士道を引用(赤穂山鹿素行研究会)
政治家や社長が贅沢をしても、欧米では非難されることは比較的少ないが、日本では蔑(さげす)まれる。
その根源は、江戸時代上期の儒学者、山鹿素行が説いた武士道にある。
山鹿は、戦国時代から各藩に伝わっていた家訓を集めて体系化した。
山鹿が言ったのは武士は農、エ、商が働いているのに、何もせずに彼らを支配しているのだから、質素に生き、品格を高め、教養を積めということである。
赤穂義士や吉田松陰、ひいては幕末の志士に大きな影響を与えた山鹿素行が、大河を契機に注目を集めるかもしれません。

参考
乃木大将の愛読書が播磨で書かれた理由(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 01:37Comments(0)歴史

2014年09月22日

乃木大将の愛読書が播磨で書かれた理由

山鹿素行の胸像(赤穂城

日露戦争で活躍した乃木大将
彼の愛読書は、山鹿素行著「中朝事実」。
これ、播磨赤穂で書かれました。

江戸時代の儒学者・山鹿素行は、朱子学を批判する「聖教要録」を発刊しましたが、朱子学を信奉する幕府の怒りを買い、罪人として赤穂に流されました。
流刑の地・赤穂で山鹿は、何冊もの書物を書き、またその思想は、赤穂藩士に影響を与えたといわれています。

「中朝事実」にはどんなことが書いてあったか。
・日本は国の始めから続く天皇の国
 (中国は王朝がころころ変わっている)
・日本人は日頃から、孔子が説く聖人の道を
 (孔子が説く前から)実践
・中国が世界の中心じゃなくて、日本こそ世界の中心
山鹿素行は赤穂藩に仕官したのが7年10ヶ月、流されたのが10年。何かと赤穂と縁のあるかただったのですね。

参考
中朝事実(wikipedia) - 当時の日本では儒学が流行し、中国の物は何でも優れ日本の物は劣る、という中国かぶれの風潮があった。また、儒教的世界観では、中国の帝国が周辺の野蛮人の国よりも勢力も強く、倫理的にも優れるという中華思想が根本にあった。素行はこの書で、この中華思想に反論した。(記事より)
赤穂山鹿素行研究会

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:02Comments(0)歴史

2014年03月03日

水攻めに使った播磨特産の武器

中元孝迪著「姫路城 永遠の天守閣」(神戸新聞総合出版センター)

一昨日、岡田准一さんが再び姫路に来られました。

岡田官兵衛さっそう 姫路でシンポ(YOMIURI ONLINE)
作家の火坂雅志さんや播磨学研究所長の中元孝迪さんら4人によるパネルディスカッション、大河ドラマ官兵衛を演じる岡田准一さんも参加したスペシャルトークを楽しんだ。
まだ有岡城にとらわれるシーンを撮影してないそうですね。

岡田准一さん「ただいま減量中」 官兵衛シンポで語る(神戸新聞NEXT)
ドラマ撮影では有岡城(伊丹市)に官兵衛がとらわれるシーンを控え、「体重を落としている最中」と明かし、会場の笑いを誘った。
先週の大河で出てきた名刀「圧切(へしきり)」を信長から貰ったのが1575年、幽閉されたのが1578年なので、進行は大丈夫か?と思いました。

まぁ、夏まで播磨が舞台だというならそんなもんかも。

1582年に本能寺の変が起きて、信長が死んじゃうんですが、その時秀吉と官兵衛は岡山の高松城で水攻めをしてました。
城の周りに堤防を築いてそこに川の水を引き込んで城を水没させるという、すごい攻め方。

その4キロにもわたる堤防をたった12日で完成させたとか。
堤防には等間隔で櫓(やぐら)が造られて、高松城内はその早業に驚き、戦意を喪失したといいます。(中元孝迪著「姫路城 永遠の天守閣」より)

でもこれ、播磨特産の杉原紙を貼って白壁を演出した、みせかけの櫓だったんですね。
特産物まで攻める材料にしてしまう、というか、それほどぎりぎりの戦いをやっていたということでしょう。

今の播磨なんて、ありあまる(観光資源などの)宝物を放置して、ほとんど活かしてないわけですから、当時と真逆。
(当時だって、秀吉という外部の人の助けを借りてこその戦いだったのですが。)

やはり外部の力が・・。

参考
松平定知、岡田准一が再び姫路にやってくる!(372log@姫路)
舞台の7割は播磨。NHK大河「軍師官兵衛」(372log@姫路)
和紙の一大産地だった播磨(372log@姫路) - 次第に武家社会全般にも普及し、「武士は杉原紙以外の紙に文を書いてはならない」とされるようにさえなりました。(ブログの引用より)
姫路は宝の山(372log@姫路) - 歴史のない土地にとって観光開発とは、それほどネタがなくて困っているものなのに、姫路ときたら、資源があふれているにも関わらず、ほとんどが眠っている状態。全国で観光開発に興味があるかたは、姫路に来て、やりませんか?(ブログより)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2014年02月27日

広峯神社と八坂神社。姫路と京都

八坂神社京都市

広峯神社の話題。

姫路広峰神社の由来(姫路市長の日々想)
童門冬二先生が「黒田官兵衛」を刊行されました。その中で「京都の八坂神社は、播磨の広峰神社から分社したものである。」と書かれています。
(中略)
広峰神社と八坂神社は長い歴史の中で色々とやりとりがあったことが分かります。
この経緯に鑑み、どちらが本か末かはいったん棚上げし、長い歴史的な縁に結ばれた両神社は兄弟神社として仲良く交流し、共存共栄を図るしくみや工夫を考えていくことが得策であると考えます。
広峯と八坂はずいぶん長年にわたり、やりとりがあったんですね。

姫路と京都は、国道372号線で結ばれています。
まさに本ブログ「372」も、姫路と京都を結ぶラインに視点をおいています。(ほんまかいな?)

共存共栄。姫路と京都、姫路と奈良、姫路と大阪、姫路と神戸
姫路と岡山、姫路と鳥取、それに姫路と伊丹、姫路と西脇

「姫路はどことでも仲良くするでぇ」ってことでしょう。

参考
祇園祭のルーツ「祇園本社播磨国広峯社」(372log@姫路)
快適なドライブが楽しめる、国道372号線(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2014年02月03日

安室・高岡・荒川は、旧夢前川跡3兄弟

姫路市立荒川小学校姫路市井ノ口

岡田准一さんの大河を見ていたら、青山・土器山の戦いの場面が出てきました。

青山・土器山の戦い(wikipedia)
3,000の兵を率いた赤松政秀小丸山に布陣し、対する黒田軍は夢前川東岸にある土器山(現・瓦山。一説に現・船越山)に陣を張った。
夢前川を挟んで対峙するような地図が画面に出てきたのですが、この当時、夢前川がこの場所にあったかどうかは、自分自身よく理解できていません。

姫路の風景 ~夢前橋~(372log@姫路)
当時夢前川は横関から今宿、荒川地区へ流れていました。現在ある夢前橋付近の夢前川は、江戸時代に、姫路藩榊原忠次が付け替えたものです。
私が通っていた荒川小学校の「荒川」という名前。もともと夢前川が流れていて頻繁に氾濫していたようで、「荒れた川」→「荒川」となりました。

フォトアドベンチャーの冒険しょう! (フォトアドベンチャー)
安室・高岡・荒川あたりは、もともと夢前川が流れていた場所で度々洪水が起こり、それが荒川(荒れたる川)の地名のもとになったようです。
予測地図が掲載されていますが、旧夢前川は、安室小学校高岡小学校 → 荒川小学校の場所を流れていた模様。安室・高岡・荒川は、旧夢前川跡の3兄弟みたいなもの。

夢前川水系河川整備基本方針(兵庫県)
江戸時代の明暦2年(1656年)には、姫路藩主だった榊原忠次が夢前川の堤防工事を行った。榊原忠次は、それまで御立地先より今宿地先を経て英賀地先へ流れていた夢前川を、横関から青山に流す堤防工事を行い、それまで下流で起きていた災害を防止した。横関という地名の由来は、堰を築いて流れを変えたことによると言われている。
青山・土器山の戦いが1569年なので、「本当に夢前川を挟んで対峙していたの?」と思いました。
黒田軍が名古山に陣を張っていたのならわかりますが。

P.S.
名古山に陣を張っていたほうが、姫路市が観光強化を目指す名古山が注目されていいかもしれません。

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(1)歴史

2014年01月20日

東洋のベニス・堺。全国の「堺町」

城周辺観光ループバス

昨日は軍師官兵衛・第3回が放映されました。

鉄砲を買いにやらされた官兵衛岡田准一)がに行くのですが、
播磨の田舎侍にとって堺はすごいところだったんでしょうね。
堺商人が全国で活躍した証しとして「堺町」が全国にあるのだそうです。

「堺町」のある都市(wiki)
「堺町」もしくは「堺丁」がある都市 - 岸和田市大和郡山市和歌山市、姫路市、津山市倉吉市広島市高知市北九州市(旧小倉市)、京都市
姫路市にもありますね。

姫路市堺町の場所は、ここ
姫路城の東にある姫路医療センターのさらに東です。

ただ、「姫路の町名」には、上寺・上久長・竹田3町の境にあったからとか、姫山にあった正明寺領の境界にあったので、名づけたなどと書かれています。

参考
堺市 室町時代・戦国時代(東洋のベニス)(wiki)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:24Comments(2)歴史

2014年01月15日

8月のひな祭り

室津播磨たつの市

女の子のお祭り・ひな祭りは、毎年3月に行うのが日本の常識です。
ところが、播磨・たつの市の室津では、戦前まで8月にひな祭りを行っていました。

八朔のひな祭り(はりま・室津「嶋屋」友の会)
19日の大河ドラマ「官兵衛」は室津の「八朔のひなまつり」の元になった室山城落城の悲劇の物語です。
おひな祭りに黒田家から嫁いだ志織姫と浦上家の婚礼の夜、龍野の赤松政秀が室山城を急襲、姫は奮戦空しく討ち死にし、政宗は自害したとあります。
室津の人々はこの悲劇を悲しみ、非業の死をとげた花嫁の鎮魂のために3月3日ではなく、半年遅れの八朔にひなまつりを延しました。
室津には、室山城というお城があり、浦上氏が治めていました。

浦上家に黒田家(官兵衛さんのおうち)からお嫁さんが嫁いだのですが、婚礼当日に龍野の赤松政秀が浦上家を襲い、お嫁さんはお亡くなりになられました。
あまりに可哀想なので、室津の人々は、その年、半年ほどひな祭りを延期。その後も8月にひな祭りを行うようになったそうです。

戦後途絶えていたのですが、近年「八朔のひな祭り」として、行事が行われています。

P.S.
おたつ(南沢奈央)の運命は如何に・・

参考
雛祭り・時期(wiki) - 御津町室津では、旧暦の8月1日にお雛様を飾る習慣があるので知られていたが、戦後この風習は長く途絶えていた。近年「八朔のひな祭り」を復興。(記事より)
観光客が溢れる西国一の港町。「遊女の町」たつの市・室津(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります

  

Posted by miki at 02:02Comments(0)歴史

2013年12月31日

今さらですが、黒田官兵衛って誰?



姫路の街は、黒田官兵衛の旗がなびき、かんべえくんのキャラが付いたループバスが走り・・と官兵衛一色!
今さら、「黒田官兵衛って誰?」と口にできないかたのために、この番組。

歴史秘話ヒストリア これが乱世を生きる道~軍師 官兵衛 美しき人生~(NHK)
今度大河ドラマでやる「黒田官兵衛」ってダレ?ヒストリアではそんな方を応援します!ゲストが「官兵衛お宝すごろく」の世界にダイブし“官兵衛とお宝”クイズに挑戦!官兵衛の軍師的スゴ技とは?官兵衛が織田信長の名刀を…?新春、知識ゼロの方は官兵衛通に、戦国ファンも目からウロコ!?
年明け1月8日(水)22:00~22:43 NHK総合で。

今年のブログはこれで終わります。今年一年どうもありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

参考
姫路城ループバスに「かんべえくん」のラッピング-大河「軍師官兵衛」放映控え(姫路経済新聞)
ロープウエーにも「かんべえくん」-姫路・書写山、大みそかは終夜運行(姫路経済新聞)
8分間で黒田官兵衛が好きになる話(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2013年11月30日

加古川で靴下がつくられた理由

てるひめちゃん(姫路・大手前公園

全国有数の靴下生産量を誇る播磨加古川市。加古川のイメージキャラクター「てるひめちゃん」の靴下ができました。

「官兵衛の妻」イメキャラ靴下登場 大河スタート控え兵庫・加古川で販売(MSN産経ニュースwest)
戦国武将、黒田官兵衛を主人公にした来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映開始まで1カ月余りとなり、兵庫県靴下工業組合同県高砂市)は、官兵衛の妻で同県加古川市出身とされる光(てる)姫のイメージキャラクター「てるひめちゃん」などをあしらった靴下商品の販売に乗り出した。
それにしても、何で加古川で靴下生産が盛んになったのでしょう。

KAKOGAWA SoCKS(兵庫県靴下工業組合)
姫路藩の奨励策により「播州の三白(米、塩、木綿 )」が特産物として有名でした。織維工業の発展にともない、このうちの手織木綿を材料にしてくつ下がつくられるようになります。明治中期には煙草が官営になったため、農家が次々と副業としてくつ下を手がけるようになり、産地としての基盤ができあがりました。
江戸後期最強の知恵者・河合寸翁(すんのう)が育成した姫路木綿が、加古川靴下の基礎にあったのです。

「てるひめちゃん」の靴下は、戦国最強の知恵者・黒田官兵衛と、江戸後期最強の知恵者・河合寸翁を結びつけたことになります。
この男性用靴下(あるの?)を履くと知恵が湧き、女性用靴下を履くと美人で賢い女性になれそうな気がします。

参考
「かんべえくん」と「てるひめちゃん」(372log@姫路)
官兵衛の妻は「美人で賢く女性の鏡」(372log@姫路)
史上最強の総務部長は、姫路銘菓「玉椿」の命名者(372log@姫路) - 黒田官兵衛が戦国最強の知恵者なら、江戸後期最強の知恵者は、河合寸翁(すんのう)かもしれません。共通点はどちらも姫路城生まれ。(ブログより)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2013年11月28日

神戸は変わらないのに、印象が薄まった理由


神戸港輸出額の推移(神戸港の質的変貌より)

われらが兵庫県を代表する都市・神戸
明治期の開港とともに発展した神戸ですが、1980年頃に比べると印象がやや薄まっているように感じます。

神戸港の輸出額は、阪神・淡路大震災のあった1995年こそ3兆円程度に落ち込んでいますが、最近20数年間は5兆円前後で推移しています。(上掲グラフ)


コンテナ取扱量の推移(神戸港の質的変貌より)

ところが、2つめのグラフ(コンテナ取扱量の推移)を見るとわかるように、日本のコンテナ取扱量は20年間で2倍になっています。
神戸港の取扱量は(輸出額と同様)変わっていないのに・・です。
こういうのを「相対的地位の低下」って言うんですよね。

たとえば日本海側にある港からは、直接海外に運んでしまうなど、神戸を中継するコンテナが減ってしまったのがひとつの理由です。
それにしても、神戸港以外のコンテナ量の伸びは凄まじい。

神戸港は、阪神大震災を乗り越えて、きちんと戻っている。
でも、戻っただけで、昔も今も何も変わっていない。

ところが、周囲は激変している。だから、相対的に地位が低下し、「神戸は変わらないのに、印象が薄まった」というわけです。

神戸港直接の関係者は、一定の仕事量が維持されているため、まだいいかもしれません。
問題なのは、(相対的地位が高かったが故に)過去に築くことができた「ミナト神戸」のイメージで商売している人。

すでに相対的地位がなくなっているため、いつイメージが崩壊してもおかしくありません。もう実体がないからです。
われわれの年代は「印象が薄まったなぁ」ですむかもしれません。
問題は、「ミナト神戸」と、「ミナト博多」や「ミナト新潟」のブランド価値の差がわからない若者たちが増えてきたとき、「ミナト神戸」ブランドが使えなくなることです。

医療産業など新たな飯のタネを探していますが、さほど必死になれない背景に、ひとつめのグラフにある、横ばいの輸出額推移があります。
周りの環境が激変していることを、直視できるかどうかが分かれ目のような気がします。

参考
“独自色”神戸港浮上せよ(朝日新聞デジタル)(会員限定記事)
神戸にアムステルダムから船が来なくなった本当の理由(372log@姫路) - 1978年のデータもあるのですが、神戸はシンガポール高雄釜山横浜の3倍のコンテナを運んでいました。その頃の神戸は、アジアを代表する世界有数の国際貿易港として広く世界中に知られていました。しかし10年後の1988年には香港、シンガポール、高雄に抜かれ、釜山にも追いつかれました(ブログより) ← 7年前にこの記事を書いたとき、その後さらに52位(2012年)まで落ち込むとは、予想できませんでした。1980年、神戸港は世界ランキング3位でした。

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2013年11月22日

「人は殺すよりも使え」

ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館姫路市本町

新春1月5日より、大河ドラマ「軍師官兵衛」が始まります。

乱世を終わらせるために突如現れた稀代の天才軍師・黒田官兵衛の鮮烈な生涯!(NHK)
「人は殺すよりも使え」。刀や槍で人を殺すのではなく、智力で敵を倒す。それが秀吉に天下を取らせた軍師黒田官兵衛の方法だった。
静岡大学小和田哲男氏も、官兵衛が人を殺したくないという思想を持っていたと言っています。

戦国武将の経営戦略~軍師黒田官兵衛に学ぶ(大分合同新聞)
官兵衛は人を殺したくないという思いも強かった。官兵衛がいなければ、秀吉も10万人以上を殺した信長のような殺りくを天下統一の過程で繰り返した可能性がある。(官兵衛が主人公の来年のNHK)大河ドラマでも現代につながる命を大切にする思想を持っていた人物として描かれるだろう。
単にできるだけ人を殺さず智力で勝つというだけでなく、勝ち方にもこだわったようです。

官兵衛の生き方(播磨の黒田武士顕彰会)
戦いにおいては勝たなければ自分が滅んでしまうが、単に勝てばよいとは思わず勝ち方にこだわり、相手を徹底的にせん滅するのではなく「相手に遺恨を残さない勝ち方」を追求している。北条氏小田原城攻めの時に、降伏する相手から感謝され、家宝の品々を贈られたのはその典型である。そのような戦いをすると、結果として負けた相手も官兵衛の指揮の下で働くことを望むようになる。まさに、そこには「人は殺すよりも生かして使え」を実践している姿が見える。
相手に遺恨を残さない勝ち方をすることにより、相手も味方につけてしまう。
負けた人に感謝されるような勝ち方。現代の複雑な諸問題にも応用できそうです。

大河ドラマ館は1月12日から。姫路城近くにオープンします。

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(1)歴史

2013年07月29日

高校野球だけではない。姫路 vs 西脇

官兵衛の里・黒田(播磨西脇市「官兵衛の里」推進協議会

いまから10年前、NHKの大河ドラマで「武蔵 MUSASHI」が放映されました。武蔵は市川海老蔵、お通は米倉涼子

当時、大原町(現:美作市)が武蔵の生誕地だと言う説と、播磨生誕地説で、観光目的のバトルがありました。

--「武蔵」ブームの裏--生誕地争い…岡山vs兵庫夕刊フジ特捜班「追跡」)
関係者の鼻息が荒いのは、智頭急行線に「宮本武蔵駅」がある岡山県大原町。
同町が生誕地とされるようになったのは、明治41年、熊本の「武蔵顕彰会」による調査で宮本村(現・大原町)が生誕地と確認されて以来。同町産業振興課は「古事帳や家系図などによって確認された」と話す。
また、大河ドラマの原作になった吉川英治小説『宮本武蔵』も大原町を生誕地としている。
一方、「小説武蔵はフィクションで、史実によれば武蔵は播磨の生まれだ」と、巻き返しに必死なのは兵庫県勢だ。
根拠は、武蔵が自著『五輪書』で「生国播磨の武士新免武蔵藤原玄信」と記していることだ。
(中略)
有力なのは同県高砂市を生誕地とする説。
(中略)
同県太子町を生誕地とする説もある。
来年の大河、軍師官兵衛に関しても、官兵衛生誕地について諸説あります。

官兵衛は小寺家養子? 「家譜」定説覆す史料(YOMIURI ONLINE)
未公開資料「丙午録(へいごろく)」に、豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛(1546~1604)が定説とされる播磨の姫路城主小寺職隆(もとたか)の実子ではなく、養子であるとする記述があることを、小野市立好古館が明らかにした。
かねてから姫路(城)誕生説と西脇(黒田庄)誕生説があった官兵衛ですが、今回の資料の公開で、西脇誕生説が有力になるのか、はたまた人口が多くて声の大きい姫路誕生説がゆるがないのか・・。

夏の高校野球兵庫大会決勝戦は、東洋大姫路 vs 西脇工でしたが、官兵衛生誕地 姫路 vs 西脇の戦いは、これからますます本格化しそう(?)

いずれにしろ、「今、播磨が熱い」(ということで、お開きにしましょう)

参考
宮本武蔵・伊織の里(播磨・高砂市)
宮本公園(播磨・太子町)
「官兵衛は黒田庄町生まれ」 姫路の研究家が新説講演(神戸新聞NEXT)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(2)歴史

2013年07月25日

祇園祭のルーツ「祇園本社播磨国広峯社」

広峯神社姫路市広峰山

大阪の天神祭、東京の神田祭と並び、日本三大祭りのひとつに数えられる京都の祇園祭
今月1日から1ヶ月にわたって行われています。

[祇園祭]神輿「おかえり」(YOMIURI ONLINE)
祇園祭の神幸(しんこう)祭(17日)で八坂神社から四条寺町の御旅所に移った神輿(みこし)3基を、同神社に戻す還幸(かんこう)祭が24日、京都市中心部で営まれた。
(中略)
祇園祭は、31日に同神社の摂社・疫神社で営まれる「夏越祭(なごしさい)」で、1か月間の幕を閉じる。
祇園祭は、京都・八坂神社の祭りですが、姫路にも大いに関係があります。

広峯神社(姫路市広峰山)(姫路にある官兵衛ゆかりの地)
京都・祇園の八坂神社は平安時代に、都を襲った疫病を治めようと、広峯神社の神を移したとされており、都大路を彩る祇園祭もそのルーツは広峯にある。
一説に、姫路の広峯神社が、祇園社の総本社と言われています。

広峯神社(wikipedia)
貞観11年(869年)、当社から平安京の祇園観慶寺感神院(現在の八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)を分祠したとする説があり、貞応2年(1223年)の文書にも「祇園本社播磨国広峯社」とある。そこから祇園社(牛頭天王社)の元宮・総本社とも言われているが、八坂神社とは今なお本社争いがくすぶっている。
そりゃ八坂神社も必死でしょ。
広峯神社は、官兵衛ゆかりの地としても脚光を浴びています。

広峯神社(姫路市広峰山)(姫路にある官兵衛ゆかりの地)
官兵衛の祖父・重隆の代に黒田家は備前・福岡から姫路に移り、広峯神社の御師(おし)が配る神符(おふだ)とともに黒田家秘伝の目薬を売って財を蓄え、黒田家発展の基礎を築いた。現在も御師屋敷の建物が残る。
NHKは、広峯神社をどう紹介するんでしょうね。

参考
京都に学ぶ、姫路観光を首都圏に売り出す視点(372log@姫路) - 東京にいたとき、京都のブランド力は抜群だと感じたものです。京都は確かに歴史があり、文化的な価値もありますが、首都圏にだって鎌倉日光があります。そんな大騒ぎするほどのことでもありません。それに、古都といっても、歴史なら奈良播磨だって古い。
京都が必死になる相手(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 18:18Comments(0)歴史

2013年07月19日

姫路の風景 ~黒田官兵衛~



大河決定の9ヶ月前まで、戦国マニアでもなければ知らなかった黒田官兵衛
いま、姫路でこの人の名前を知らない人は、少ないんじゃないでしょうか。

信長の野望 : 誕生から30年 生みの親シブサワ・コウ語る(毎日jp)
実は信長の次ぐらいに官兵衛は好きなんです。官兵衛は、適度に忠義も野心もある非常に面白い人物。幽閉されても己を曲げず、(関ケ原の戦いのときに)九州を席巻したり、(天下統一後)秀吉ににらまれると隠居する潔さもあります。これまでどうして大河にならなかったのかと思っています。
信長の野望」の作者も、官兵衛好きというのですから、知る人ぞ知る存在だったんですね。

参考
8分間で黒田官兵衛が好きになる話(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2013年05月19日

8分間で黒田官兵衛が好きになる話

「黒田官兵衛」松本人志(好きなモノの話)(YouTube)

黒田官兵衛好きの松本人志さんが、官兵衛の魅力について熱く語っています。
内容は、

1 戦国武将の中で一番頭が良くて、一番ついてない武将

2 本能寺の変の一報を聞いた時、秀吉に天下統一のチャンスを気づかせる

3 どれだけ頭がいいか
 → 秀吉が3日3晩かけて考えた答えを、瞬時に答える
 → 秀吉も恐れ始める

4 関ヶ原の戦いの立役者、息子を怒った理由

8分くらいですが、これ聴くだけで、官兵衛ファンになりそうですね。

参考
妻は中谷美紀、父は柴田恭兵。軍師官兵衛の配役発表(372log@姫路)
GO!GO! 官兵衛。来年のNHK大河に向け動き出す姫路(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2013年02月09日

GO!GO! 官兵衛。来年のNHK大河に向け動き出す姫路

ひめじ官兵衛プロジェクト推進協議会

来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」ゆかりの姫路が、動き出しました。

14年大河ドラマ ゆるキャラで官兵衛PR 姫路(神戸新聞NEXT)
兵庫・姫路ゆかりの戦国武将・黒田官兵衛を主人公にした2014年のNHK大河ドラマを観光、経済の活性化に生かそうと、官民でつくる「ひめじ官兵衛プロジェクト推進協議会」の設立総会が8日、姫路市役所であった。
官兵衛ゆかりの地として姫路市内15箇所が掲げられています。

今回のNHK大河は、誰かの原作のドラマ化ではありませんが、官兵衛を主人公にした司馬良太郎播磨灘物語の原点が、ゆかりの地にも挙げられる英賀城にあると言います。

司馬と播磨結ぶ原点 英賀神社(神戸新聞)
JR英賀保駅を南西へ約一キロ。夢前川沿いに英賀神社がある。ここは、司馬遼太郎が黒田官兵衛を主人公にした「播磨灘物語」を書いた“原点”ともいえる地である。
神社は、一大勢力を誇った三木氏が城主だった英賀城跡の一角にある。司馬の先祖は英賀に籠城(ろうじょう)した武将とされ、官兵衛に敵対した。
(中略)
司馬と親交のあった播磨学研究所橘川真一所長(75)は「司馬さんは、この小説をかなりの思い入れをもって書いていた」と語る。司馬の播磨に対する愛着の深さが、小説により官兵衛を“脇役”から“主役”へと飛躍させた。
司馬遼太郎の先祖が官兵衛に攻め込まれたのにも関わらず、司馬の小説が官兵衛を主役へと飛躍させた。不思議な関係ですが、今度はNHK大河が姫路の「智」ブランドへの飛躍の契機になればと思います。

参考
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を応援しよう!(姫路市)
知名度と魅力ある姫路にむけ、官兵衛PT庁内本部を設置(372log@姫路)
日本仏教発祥の地と黒田官兵衛。稲作発祥の地もここ?(372log@姫路)
官兵衛の妻は「美人で賢く女性の鏡」(372log@姫路)
姫路生まれの黒田官兵衛。再来年のNHK大河に決定(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 01:52Comments(0)歴史

2012年12月09日

徳島藩が、絶品の鳴門鯛を「姫路鯛」と名乗った理由



俗に「魚の王様」ともいわれるマダイ。その中でも潮流の速い鳴門海峡で「もまれた」鳴門鯛は一級品。ところが江戸時代には「姫路鯛」として全国に流通していました。

8月度【北九州】異業種交流会☆HOPE LINKSのご案内(Hope☆links)
河合が考えたのは、「対岸の四国の阿波徳島藩(蜂須賀家)が、自分の領海でとれる鯛を“姫路鯛”と名付けて利益を得ている。
これはけしからん。
姫路鯛と名乗る以上は、その名称の使用料をこっちに納めるべきだ」と主張したのである。
いいがかりだ。
実際には、のちに“鳴門鯛”と呼ばれるようになるうまい魚なのだが、当時阿波徳島藩ではなぜか“姫路鯛”といって売り出していた。
現在でも同じだが、こういういわゆる“ブランド”名というのは、なかなか抜き難い。
いまでも、明太子といえば博多のものと限られている。
しかし、関門海峡であんなにタラコが採れるはずがない。
生産地の多くは、北海道であり朝鮮だ。
しかし、「博多明太子」といえば、買うほうは素直に納得する。
したがって、阿波徳島藩が、当時あえて“姫路鯛”といったのは、やはり日本国内における通り相場が鳴門鯛よりも姫路鯛のほうが良かったからだろう。
江戸時代でも、姫路(播磨灘)の鯛が鳴門の鯛より美味かった。鳴門の渦で「もまれた」鯛よりなぜ姫路の鯛が美味いのか。

播磨灘の鯛(372log@姫路)
播磨灘の鯛は、おいしいことはもちろん、形も違います。鳴門の渦を乗り越えて播磨灘まで泳ぎ切ったときに特有のコブができ、特に美味だそうです。
鳴門の鯛は鳴門の渦に「もまれた」だけですが、姫路の鯛はそこを乗り切った「選ばれた鯛」だということです。

食はイメージに左右されやすいもの。「姫路鯛」ブランドが定着していた江戸時代の歴史を感じながら食べる播磨灘の鯛は格別です。

参考
姫路藩家老 河合道臣  民は国の本、人材は国の宝(日本の素晴らしい歴史)
河合寸翁(郷土史ひめじ)
死んだ魚は食べません。漁業都市姫路(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 09:32Comments(0)歴史

2012年12月05日

日本ユネスコが「銀の馬車道」を未来遺産に選定

第4回プロジェクト未来遺産(日本ユネスコ)

日本ユネスコ協会連盟が『未来遺産運動』の柱として展開している『プロジェクト未来遺産』に、「銀の馬車道プロジェクト」が登録されました。兵庫県内では初めての登録となります。

「銀の馬車道」が未来遺産に 日本ユネスコが選定(神戸新聞NEXT)
明治時代に生野鉱山朝来市)‐飾磨港(姫路市)の約49キロを結んだ産業用道路「銀の馬車道」の顕彰活動が3日、日本ユネスコ協会連盟の「プロジェクト未来遺産」に選ばれた。未来遺産は、100年後の子どもたちに残したい産業遺構、自然、文化の保全、普及を促すため、同連盟が選定している。
日本には、長い歴史の中で引き継がれてきた豊かな文化、自然が多く存在します。ところが近年、貴重な伝統が途絶えたり、美しい風景画消滅したり、そうした継承の危機が言われます。
日本ユネスコ協会連盟の「未来遺産運動」は、こうした文化遺産や、自然遺産を、未来に伝えることを目的としています。

参考
生野銀山-飾磨港間、日本初の高速産業道路(372log@姫路)
日本初の産業道路「銀の馬車道」(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 22:41Comments(0)歴史

2012年12月01日

弥生時代前期の川跡

池ノ下遺跡(姫路市苫編

姫路市苫編の池ノ下遺跡で、弥生時代の川跡が発見されました。

弥生前期の川跡発見 古墳時代水路も/姫路(朝日新聞デジタル)
姫路市埋蔵文化財センターは29日、姫路市苫編の池ノ下遺跡で、弥生時代前期の川の跡や、古墳時代初頭の水路跡が見つかったと発表した。水路跡は過去に近くで発見されている水路や堰(せき)の跡とつながり、川から生活用水を引き込んだ集落が近くにあったことをうかがわせる発見という。
姫路市苫編に所在する池ノ下遺跡の発掘調査成果について(姫路市)
弥生時代前期の流路は、大きく蛇行しながらゆっくりと流れていたのに対し、古墳時代初頭の溝は、直線的に延びる人工的な水路であり、西側の微高地へ導水していたとみられる。
古墳時代初頭の溝は、平成19年度におこなわれた兵庫県教育委員会の発掘調査でみつかっており、今回の調査でみつかった溝は、その続きに相当する。兵庫県教育委員会の調査では、河道に木杭を打ち込み、堰を設けて取水していたことが明らかになったが、この時には溝から遺物は出土しておらず、今回の調査で当該期の高杯(食べ物などを盛り付ける脚付きの椀)が出土したことで、溝の機能していた時期が初めて明らかになった。
これらの流路や溝は、当時の人々の生活に密接に関わっていたと考えられる。
苫編地区では池ノ下遺跡の発掘調査の成果が蓄積されつつあり、近傍に存在したと想定される集落の周辺状況が次第に明らかになりつつある。
この地区は、弥生時代から中世にかけて連綿と続いた大規模な集落群だった可能性がこれまでの調査で明らかになりつつあります。

今後また、何がわかるか楽しみです。

参考
生活変化探るヒント 姫路・池ノ下遺跡で河川跡など発見(神戸新聞NEXT)
姫路で弥生時代の粘土掘り跡100基(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 20:40Comments(0)歴史

2012年11月17日

瀬戸内市で、黒田サミット

岡山県瀬戸内市

播磨赤穂のもうちょっと西側にある、岡山県瀬戸内市で、黒田サミットが開催されます。

瀬戸内で25日「黒田サミット」 官兵衛ゆかり 5市集い交流 (さんようタウンナビ)
瀬戸内市など武将・黒田官兵衛ゆかりの5市が集い交流する「黒田サミット」が25日、同市で開かれる。
(中略)
サミットに参加するのは他に、黒田氏祖先の地・滋賀県長浜市、官兵衛が生まれた兵庫県姫路市と城を築いた大分県中津市、黒田藩が約270年治めた福岡市。5市それぞれが官兵衛を通した地域活性化の取り組みを発表する。姫路市の歴史研究家黒田美江子さんによる基調講演もある。
NHK大河決定後のサミットとあって、大いに盛り上がること請け合いですね。

参考
黒田サミット in瀬戸内市(うしまどストーリー)
黒田サミット:黒田家興隆の地、瀬戸内で25日開催 /岡山(毎日jp)
官兵衛を大河ドラマに 姫路で「黒田サミット」(47NEWS)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史

2012年10月12日

官兵衛の妻は「美人で賢く女性の鏡」

播磨加古川市

戦国時代随一の知恵者だった姫路生まれの官兵衛は、生涯一人の女性を愛し続けました。
幸圓(こうえん)という加古川出身の女性です。

黒田官兵衛の大河ドラマ化 妻の地元加古川も注目(神戸新聞)
官兵衛の妻・幸圓は志方城主・櫛橋氏の出身とされる。城の跡には現在、観音寺(加古川市志方町志方町)が立つ。一夫多妻が一般的だった戦国時代、官兵衛は生涯を通してただ一人の妻を愛したという。
随一の知恵者が生涯を通じて愛したというのですから、よほど魅力的だったのでしょう。

官兵衛を支えつづけた女(ひと)(何故今、黒田官兵衛か)
黒田家の史料を編纂した、貝原益軒の『黒田家譜』によれば、幸圓は「容儀人にすぐれ、うるわし才徳兼備」と書かれています、いわゆる美人で賢く、家臣団からも慕たわれた女性の鏡のような人であったという。
ところで山口県萩市では、今週、来年の大河ドラマの撮影が行われていましたが、先月この撮影のエキストラを募集していました。(参考

来年の今頃は、姫路近辺でも撮影が行われるかもしれません。
岡田さんや、岡田さんに似合いの美人妻役の女優(未発表)と競演できるチャンスもありますね。

参考
姫路生まれの黒田官兵衛。再来年のNHK大河に決定(372log@姫路)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
  

Posted by miki at 22:45Comments(2)歴史