2013年06月18日
湯沢山茶くれん寺・秀吉の腰掛石
法輪寺(姫路市井ノ口)
地元、茶くれん寺のことを書いたのが9年前。
湯沢山・茶くれん寺(372log@姫路)
大河ドラマで注目 姫路の寺で秀吉の腰掛石を再現(神戸新聞NEXT)
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地元、茶くれん寺のことを書いたのが9年前。
湯沢山・茶くれん寺(372log@姫路)
姫路市立荒川小学校の北隣に、「ちゃくれん寺」というお寺があります。私が小学校時代は、別になんとも思わなかったのですが、後に「茶くれん寺」、つまり「お茶をくれない寺」という意味だと知り、「そうか、ケチな寺なのか」と思っていました。このたび、そのときに秀吉が座ってお茶(白湯?)を飲んだという腰掛石が再現されました。
最近になって知ったことですが、豊臣秀吉が英賀城(姫路市飾磨区)攻めの時に立ち寄り、茶を所望したのに白湯(さゆ)しか出てこなかったため、「湯沢山(たくさん)、茶くれん寺か」と大笑いして立ち去ったため、茶くれん寺と言われるようになったそうです。
秀吉があまりに軽装だったので、気づかなかったそうで、決してケチなお寺ではないのですね。
大河ドラマで注目 姫路の寺で秀吉の腰掛石を再現(神戸新聞NEXT)
豊臣秀吉が英賀城攻めの際に訪れた兵庫県姫路市井ノ口の法輪寺で、座ってお茶を飲んだという「秀吉の腰掛石」が再現され14日、歴史愛好家らにお披露目された。黒田長政の家臣で黒田二十四騎の一人、村田兵助は、この寺がある姫路市井ノ口の生まれとされています。(参考)
秀吉は1580年に同寺を訪れたが、下級武士の服装をしていたため、最初は茶の提供を断られたと伝えられる。その時、秀吉が「湯沢山茶(ゆたくさんちゃ)くれん寺」とあだ名を付け、地元では愛称として親しまれている。
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Posted by miki at 06:34│Comments(1)
│観光
この記事へのコメント
お茶はもてなしの心ですから、見た目でなく 和敬静寂、一期一会、茶禅一味で差し上げ うもの。なんちゃって秀吉公は茶人ですから。
Posted by 大谷みつる at 2013年06月19日 10:10