2011年11月22日
日本一狭い首都・福原京遷都を強行した理由
加古川と市街地(播磨・加古川市)
険しい山が海岸に迫り、平地がほとんどない摂津・福原の地に、遷都した人がいました。来年のNHK大河ドラマの主役、平清盛です。
何でまたそんな無茶なことを考えたのでしょうか。
【社長 平清盛】苦境時に試される“前例にとらわれない発想”(zakzak)
保元の乱で播磨守に就任し、播磨の荘園(財力)をあてにして福原遷都を強行した平清盛。歴史上初の武家政権誕生には、播磨が大きく関わっていました。
参考
播磨を本拠地にした平清盛。再来年、大河に登場(372log@姫路)
播磨とは
険しい山が海岸に迫り、平地がほとんどない摂津・福原の地に、遷都した人がいました。来年のNHK大河ドラマの主役、平清盛です。
何でまたそんな無茶なことを考えたのでしょうか。
【社長 平清盛】苦境時に試される“前例にとらわれない発想”(zakzak)
都を移せば、人口が移る。災害によって荒廃していた京都より商業が発展する可能性が高く税収も増える。清盛は遷都を、いわば究極の“町おこし”と捉えたのです。播磨についても触れられています。
(中略)
もともと平家の拠点であった神戸は、平家一門の屋敷や寺院などの施設がすでに存在しました。清盛は、これらをそのまま都の内裏として使うことで初期投資を抑え、不可能と思われた遷都を実現させたのです。
平安時代、神戸の北側の山の間道を抜けると、日本有数の穀倉地帯・播磨国の荘園群がありました。神戸は港だけでなく、後背地も魅力だったのです。明治新政府が神戸港を造った時もそうですが、背景には日本有数の播磨の財力がありました。
保元の乱で播磨守に就任し、播磨の荘園(財力)をあてにして福原遷都を強行した平清盛。歴史上初の武家政権誕生には、播磨が大きく関わっていました。
参考
播磨を本拠地にした平清盛。再来年、大河に登場(372log@姫路)
播磨とは
Posted by miki at 00:00│Comments(0)
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