2009年03月12日

加古川だけではない。岡山遷都案も。

国宝・鶴林寺播磨加古川市

以前からブログで加古川遷都を話題にしてきました(こことかここ)が、このたび神戸新聞が記事にしています。

加古川への遷都計画があった!?研究者が学説紹介(神戸新聞)
兵庫大経済情報学部の金子哲准教授が「加古川遷都論」と題して講義。平氏政権下で持ち上がった印南野遷都論の歴史的背景を説明し、加古川の水運▽瀬戸内海海運の拠点港の存在▽日本海へのアクセスの地政学的メリット-などが考えられると紹介した。
また、関東大震災後の首都移転計画でも、加古川が候補地に上がったことを説明。
今も昔も播磨の地政学的メリットは大きいと思います。とくに太平洋側にありながら、日本海アクセスにも容易なところ。

岡山も結構いいんじゃないかと思っていましたが、やはりありました。

日本「40年代、東京から竜仁に遷都する計画だった」(中央日報)
1940年代の初め、15年後を目標に立案した秘密国土計画である「中央計画素案」で、京城部(ソウル)南の郊外、日本内岡山福岡など3カ所を大東亜圏の首都移転候補地として提示した。
当時日本は、大陸進出のさらなる拡大を考えていたので、気持ちが西へ西へと向いていたんでしょうか。岡山、福岡に加え、ソウルまでも遷都候補地だったのですね。

アメリカへの輸出一辺倒から、東アジア新興国へ交流の軸足をシフトする中で、再び西向きの姿勢を強めれば、首都移転候補地選びもやや変わってくる気がします。日本列島全体の重心から考えれば、播磨・加古川、岡山、福岡の3都市の中では播磨・加古川が優位かも・・。

前出の金子教授は、加古川遷都について「今後も首都の候補地になりうる可能性はある」と力説されています。

参考
姫路は、世界の大動脈へのアクセス拠点(372log@姫路)
日中韓で東アジアを先導。注目される西日本の優位性(372log@姫路)

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Posted by miki at 00:00│Comments(2)歴史
この記事へのコメント
加古川、岡山、、そこに姫路が出てこないのはなんでなんでしょうね。
もしも実際に瀬戸内に首都機能移転なんて計画が持ち上がっても今の姫路市は野心が無いから名乗り上げることは無いんでしょうけど。
Posted by コリキ at 2009年03月12日 01:03
コリキさん

コメントありがとうございます。

岡山はわかりませんが、京阪神の人口密集地帯の近くにある加古川というのはわかる気がします。
首都を造るというのは、それなりの土地が必要なので、町を改造するより、空き地に新規につくったほうが手っ取り早いというのがあったのでは・・?

平坦地が開けている播磨平野のうち、海運に恵まれた瀬戸内沿岸で、比較的人が住んでなかったのが、明石と姫路の間にある加古川近辺だったという感覚だと思います。
加古川という人口の割に立派な川(水源)があるのも大きい。

最近は加古川周辺も人口が多いので、どうでしょうかね。
Posted by miki at 2009年03月12日 07:38
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