2014年09月22日

乃木大将の愛読書が播磨で書かれた理由

山鹿素行の胸像(赤穂城

日露戦争で活躍した乃木大将
彼の愛読書は、山鹿素行著「中朝事実」。
これ、播磨赤穂で書かれました。

江戸時代の儒学者・山鹿素行は、朱子学を批判する「聖教要録」を発刊しましたが、朱子学を信奉する幕府の怒りを買い、罪人として赤穂に流されました。
流刑の地・赤穂で山鹿は、何冊もの書物を書き、またその思想は、赤穂藩士に影響を与えたといわれています。

「中朝事実」にはどんなことが書いてあったか。
・日本は国の始めから続く天皇の国
 (中国は王朝がころころ変わっている)
・日本人は日頃から、孔子が説く聖人の道を
 (孔子が説く前から)実践
・中国が世界の中心じゃなくて、日本こそ世界の中心
山鹿素行は赤穂藩に仕官したのが7年10ヶ月、流されたのが10年。何かと赤穂と縁のあるかただったのですね。

参考
中朝事実(wikipedia) - 当時の日本では儒学が流行し、中国の物は何でも優れ日本の物は劣る、という中国かぶれの風潮があった。また、儒教的世界観では、中国の帝国が周辺の野蛮人の国よりも勢力も強く、倫理的にも優れるという中華思想が根本にあった。素行はこの書で、この中華思想に反論した。(記事より)
赤穂山鹿素行研究会

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Posted by miki at 00:02│Comments(0)歴史
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