2012年10月12日

官兵衛の妻は「美人で賢く女性の鏡」

播磨加古川市

戦国時代随一の知恵者だった姫路生まれの官兵衛は、生涯一人の女性を愛し続けました。
幸圓(こうえん)という加古川出身の女性です。

黒田官兵衛の大河ドラマ化 妻の地元加古川も注目(神戸新聞)
官兵衛の妻・幸圓は志方城主・櫛橋氏の出身とされる。城の跡には現在、観音寺(加古川市志方町志方町)が立つ。一夫多妻が一般的だった戦国時代、官兵衛は生涯を通してただ一人の妻を愛したという。
随一の知恵者が生涯を通じて愛したというのですから、よほど魅力的だったのでしょう。

官兵衛を支えつづけた女(ひと)(何故今、黒田官兵衛か)
黒田家の史料を編纂した、貝原益軒の『黒田家譜』によれば、幸圓は「容儀人にすぐれ、うるわし才徳兼備」と書かれています、いわゆる美人で賢く、家臣団からも慕たわれた女性の鏡のような人であったという。
ところで山口県萩市では、今週、来年の大河ドラマの撮影が行われていましたが、先月この撮影のエキストラを募集していました。(参考

来年の今頃は、姫路近辺でも撮影が行われるかもしれません。
岡田さんや、岡田さんに似合いの美人妻役の女優(未発表)と競演できるチャンスもありますね。

参考
姫路生まれの黒田官兵衛。再来年のNHK大河に決定(372log@姫路)

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Posted by miki at 22:45│Comments(2)歴史
この記事へのコメント
妻として幸園と言う名前は和歌に一度だけでています。それが妻の名前ではないかとの想像です。
Posted by 大谷 みつる at 2012年10月18日 17:39
大谷様

幸園っていい名前ですね。
Posted by miki at 2012年10月25日 08:12
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