2008年02月02日

姫路で弥生時代の粘土掘り跡100基

姫路市苫編(とまみ)

姫路で、弥生土器の材料になった粘土を採った採掘抗の跡が100基も見つかったそうです。

弥生時代の粘土掘り跡100基発見 姫路(神戸新聞)
姫路市苫編、英賀保駅周辺遺跡の第四地点で、弥生土器の材料になった粘土を採ったとみられる穴(採掘坑)の跡が約百基見つかった。
(中略)
また、採掘坑を覆った地層には、奈良-平安時代のすずりや文字入りの土器、瓦などの遺物が含まれ、近くに寺や役所跡があったとみられる。鎌倉時代の掘立柱建物跡や溝も見つかった。
隣接地で県教委が進める発掘調査では、弥生末期の住居や平安期の建物などが確認されている。同博物館は「弥生時代から中世にかけて連綿と続いた大規模な集落群であったことが推測される」としている。

苫編は、旧家が山すその斜面に連なっています。かつて夢前川の本流だった大井川と苫編山に挟まれた泥湿地のため、水害を避けて高いところを敷地として選んだと言われています。それが土器を造るのにちょうどよい粘土質を生んだのでしょうか。

苫編には、秀吉に攻められ英賀御堂から移ってきた興宗寺(こうしゅうじ)や、苫道国主神社(とまみちくにぬしじんじゃ)があります。

参考
発掘調査情報(兵庫県立考古博物館) - 現在弥生時代後期の粘土採掘坑と中世の掘立柱建物跡を調査中である。特に粘土採掘坑は100箇所あまりが検出された。これだけの数がまとまってみつかるのは珍しい。(記事より)
掘っ立て柱建物跡16棟確認 姫路市・市之郷(神戸新聞) - 姫路は、掘れば何かしら出てきますね。
姫路は1日にしてならず(ひめナビブログ) - 姫路で遺跡を掘るのは容易です。江戸時代の遺跡なら、40センチ程度で出てくるそうです。(ブログより)
浄土真宗の拠点だった、海上交通都市・英賀(ひめナビブログ) - 英賀には浄土真宗の拠点があったのですが、秀吉に攻められて跡形もなくなりました。寺院は亀山の他、苫編にも移されました。
歴史紀行:英賀御堂(英賀神社) - 英賀落城の後、秀吉の命令によって、英賀御堂は亀山に移りました。御堂に次いで数多くの寺も、それぞれ他の土地に移されていきました。六坊のうち城下にあった三か寺は法専坊(ほうせんぼう)が東延末(ひがしのぶすえ)へ、残りの二か寺は竜野に、また有名な四か道場の興宗寺(こうしゅうじ)は苫編(とまみ)に、妙善寺(みょうぜんじ)は加茂(かも)に、光照寺(こうしょうじ)は二つに分かれて亀山と飾磨の天神に、西徳寺(さいとくじ)は都倉(とくら)へと移りました。(記事より)
難読な町名「苫編」(ひめナビブログ)
苫道国主神社(神社に行きた~い)
鬢櫛山~籾取山~苫編山(光画日記)

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史