2007年05月05日

日本最古の寺院が姫路にあった?

県外からも多くの人が訪れる太陽公園姫路市打越

昨日は、久しぶりに石をテーマにしたテーマパーク・太陽公園に行きました。

以前は、知る人ぞ知る隠れ家のようなマイナーな観光スポットでしたが、最近はずいぶんメジャーになったみたいで、「なにわ」「神戸」「和歌山」「和泉」のような県外ナンバーの車を簡単に見つけることができるようになりました。東のほうのナンバーが多いのは、おそらく関西エリアのテレビ局で紹介されたからではないかと思います。

それにしてもここの凱旋門は美しい。何で美しいのか考えたのですが、パリローマの凱旋門は大都会の真ん中にあるのですが、ここの凱旋門は山の中にあるため、緑との調和が美しいのだと思います。

隣接地には、2009年春完成予定の白鳥城とヨーロピアンバケーションタウンの工事が着々と進行していました。パンフレットにも「2009年春姫路に“ロマンティック街道”が出現! 太陽公園でドイツ旅行が体験できます」と大々的に謳っています。

ところで数々の世界の有名遺産のレプリカの中に、日本の鶏足寺というのがあります。聞きなれないこのお寺は、一体何なのでしょうか?

太陽公園は峰相山という山の斜面にあるのですが、この山一帯に、その昔、大変勢力を持った寺院があったそうです。

峰相山と鶏足寺(姫路市地域夢プラン)
峰相山鶏足寺は、新羅の王子の創建といわれ、奈良時代には隆盛を極め、やがて鎌倉時代の末期には衰微した。天正六年(1587)中国攻めの羽柴秀吉に抵抗したため、全山焼き討ちにあい栄枯盛衰の長い歴史を閉じた。

鶏足寺は、神功皇后三韓征伐で新羅から連れ帰った王子が581年に創建した、日本最古の寺院。
豊臣秀吉が播磨を平定しに来たとき、鶏足寺が逆らったため、軍師(参謀)の黒田孝高(官兵衛)に焼き払わせました。

つまり、太陽公園内にある鶏足寺は、このあたりにあった日本最古の寺院を一部復元したもので、他のレプリカとは若干意味合いが異なります。

お寺といえば奈良京都を思い浮かべますが、平城京は710年と、姫路に寺院ができてから130年も後の話です。
聖徳太子が574年に生まれていますが、姫路で修行していたかもしれません。国内には他に寺院がなかったわけですから・・。

P.S.
太陽公園の石碑には以下の記述があります。
峰相の霊場
鶏足寺は新羅の微叱己知王子が、西暦581年、この峰相の地に開創し、日本最古の縁起と最大の寺観を誇ったが、その後長年月の間には興隆衰退もあり、天正6年の災火した後、荒廃亡據と化して既に400有余年を経過した。開山王子と数千の僧侶、従僧、従者を祀る事久しく絶えたので、ここに霊場を建設してその御霊をお祀りしたものである。

鶏足寺の由来
西暦200年 神功皇后三韓の異国を攻め給し時、新羅国の質子王子を取り帰られ、その王子が峰相山にのぼって草庵をつくり千手陀羅尼を誦された。
西暦581年 質子王子峰相山に鶏足寺を創建し入滅された。
西暦767年 当時の鶏足寺は、仏法繁昌して金堂・講堂・法華堂・常行堂・五大尊堂・鐘楼・一切経蔵・勧請神九所の社壇・五重三重の二基の塔・宝蔵一宇・僧房300余あったが、貞和年間(859年)同寺は衰退が始まった。
西暦1578年8月10日 羽柴秀吉の率いる中国征討軍の先鋒だった黒田官兵衛の軍によって火を放たれて焼失した。
西暦1978年8月10日 阿弥陀如来と観世音菩薩並に峰相の地にねむる人々の霊魂をお祀りすると共に、世界人類の平和を祈念して、姫路市打越395番地、門口堅蔵が、ここに鶏足寺を再建した。

参考
峰相山・鶏足寺跡(書写近郊のお薦めエリア) - 播磨の古文書「峰相記」によると、日本で最初に建てられたお寺を「鶏足寺」といい、日本に3つある「鶏足寺」の中で、最初に建てられたのが、峰相山の鶏足寺だと記されています。(中略)また、この辺りにはかつて渡来人が集団で住み、その特殊技術を発揮していたと伝わる所で、打越から石倉にかけての山腹や山麓には、須恵器や瓦などの窯跡が多く残されています。私も打越緑台で、プチ発掘をやってみましたが、器の破片をGETできました。(記事より)
凱旋門対決。姫路vsローマ(372log@姫路)
世界遺産が姫路に集結(372log@姫路)
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Posted by miki at 00:00Comments(2)歴史