2004年11月05日
日本語ワープロ開発者のサイト
NHKのプロジェクトXでも取り上げられたので、ご存知のかたもいらっしゃると思いますが、日本語ワープロが初めて発表されたのは1978年。翌年、東芝がJW-10として630万円で売り出しました。
開発メンバーの1人、天野さんというかたが、ホームページを開設されてます。
ワープロ一号機に賭けた男の戦争に書いてありますが、1974年に東芝研究所の森さん、河田さんと開発を始めたときは、「アンダー・ザ・テーブル」として正式プロジェクトでなく、また、日本語の機械処理として大型コンピュータを使って「裏で」研究されていたそうです。
まだ「ワープロ」という概念がなかったときで、「仮名漢字変換」といってもその意味すらほとんど理解されなかったとか。
また、広辞苑には「日本」というような当たり前の言葉は(常識なので)載ってないけど、機械には常識が無いので当たり前の言葉もすべて教えないといけないなど、苦労話がたくさん出てきます。
私が会社に入った20年前と現在の最大の違いは、書類を手で書いているかパソコンで書いているか。それは、天野さんはじめ(最初は)ごく少数のかたがたの努力があったから。本当にありがとうございました。
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2004年11月05日
新規出店で既存店がなくなり、撤退で誰もいなくなる
先月から今月にかけて、姫路市内にはムサシ、ニトリ、大津イオンショッピングセンターと次々大型店が開設されますが、こうした大ショッピングセンター開設の陰で、地域のスーパーが閉鎖に追い込まれている地域もあります。
今年2月、京都市内にジャスコ京都五条店がOPENしたのに先立ち、昭和3年創業の地元スーパー清水ママセンターが倒産に追い込まれました。
清水ママセンターは、20年前に京都にいたとき、お世話になりました。お客としてもそうですし、太秦店ではバイトしてたこともあります。倒産したと知ってショックでした。
強いものが残って弱いものが淘汰されるのは仕方がないじゃないかという意見もあります。
しかし、京都の市議会でも話題になっているように、ジャスコは出店も多いけど、撤退も多い。突然撤退されたとき、その地域はどうなるのか?というのが問題です。
姫路でもリバーシティが数年後になくなると噂されてます(龍田紡績跡に移転?)。周囲からクルマで出かけている人には大した影響はないかもしれませんが、あの周辺で徒歩や自転車で生活していた人は、どうなるのでしょうか。
郊外大型店で周囲何十キロから集客するというスタイルの店舗は、少し長い目で見れば、その街にとってプラスにならないと思います。徒歩や自転車で行けるもう少しコンパクトな店舗がいくつかあるほうが、街に優しい気がします。宮内町(キャスティ21)にできたイオンモールのイメージです。
ムサシにニトリに大津イオンと、姫路に大型店は食傷ぎみです。ここはアメリカではありません。
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