2012年12月09日

徳島藩が、絶品の鳴門鯛を「姫路鯛」と名乗った理由



俗に「魚の王様」ともいわれるマダイ。その中でも潮流の速い鳴門海峡で「もまれた」鳴門鯛は一級品。ところが江戸時代には「姫路鯛」として全国に流通していました。

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河合が考えたのは、「対岸の四国の阿波徳島藩(蜂須賀家)が、自分の領海でとれる鯛を“姫路鯛”と名付けて利益を得ている。
これはけしからん。
姫路鯛と名乗る以上は、その名称の使用料をこっちに納めるべきだ」と主張したのである。
いいがかりだ。
実際には、のちに“鳴門鯛”と呼ばれるようになるうまい魚なのだが、当時阿波徳島藩ではなぜか“姫路鯛”といって売り出していた。
現在でも同じだが、こういういわゆる“ブランド”名というのは、なかなか抜き難い。
いまでも、明太子といえば博多のものと限られている。
しかし、関門海峡であんなにタラコが採れるはずがない。
生産地の多くは、北海道であり朝鮮だ。
しかし、「博多明太子」といえば、買うほうは素直に納得する。
したがって、阿波徳島藩が、当時あえて“姫路鯛”といったのは、やはり日本国内における通り相場が鳴門鯛よりも姫路鯛のほうが良かったからだろう。
江戸時代でも、姫路(播磨灘)の鯛が鳴門の鯛より美味かった。鳴門の渦で「もまれた」鯛よりなぜ姫路の鯛が美味いのか。

播磨灘の鯛(372log@姫路)
播磨灘の鯛は、おいしいことはもちろん、形も違います。鳴門の渦を乗り越えて播磨灘まで泳ぎ切ったときに特有のコブができ、特に美味だそうです。
鳴門の鯛は鳴門の渦に「もまれた」だけですが、姫路の鯛はそこを乗り切った「選ばれた鯛」だということです。

食はイメージに左右されやすいもの。「姫路鯛」ブランドが定着していた江戸時代の歴史を感じながら食べる播磨灘の鯛は格別です。

参考
姫路藩家老 河合道臣  民は国の本、人材は国の宝(日本の素晴らしい歴史)
河合寸翁(郷土史ひめじ)
死んだ魚は食べません。漁業都市姫路(372log@姫路)

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