2011年10月24日

聖徳太子が少年期、わざわざ播磨にやってきた理由

随願寺姫路市白国

聖徳太子と言えば、仏教を広めた人物として日本史の教科書でも有名。
しかし、広めるためには仏教について勉強しなければ始まりません。

実は聖徳太子は少年時代、播磨に仏教を勉強しに来ていたのです。

鶴林寺の歴史(鶴林寺)
高麗(こま)の僧、恵便(えべん)法師は、物部氏ら排仏派の迫害を逃れて、この地(播磨)に身をかくした。聖徳太子は恵便法師(えべんほうし)を慕い、その教えをうけるため、この地に来られた。のち、秦川勝(はたのかわかつ)に命じて三間四面の精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが鶴林寺のはじまりであると伝えられている。
仏教が生まれたのはインド。中国、朝鮮を経由して日本に入ってきたのですが、同時に朝鮮半島から僧侶が日本にやってきました。
その中に恵便(えべん)という人がいました。

仏教伝来以降、これを支持する蘇我氏と排仏派の物部氏が争っていたのですが、物部氏の勝利とともに僧侶が奈良・飛鳥から追われました。
恵便も、播磨に逃げてきて、ひっそりと隠れて暮らしていたのです。

播磨にいた恵便を訪ね、教えを受けたのが少年時代の聖徳太子でした。
恵便は加古川の他、姫路の増位山など播磨各地を転々として身を隠していたようです。
播磨で恵便をかくまいきることができなければ、日本に仏教がこれほど普及しなかったかもしれません。

播磨学研究所の中元さんは、播磨は日本仏教の“聖地”であるとおっしゃっています。

参考
中元孝迪「日本史を変えた播磨の力―地域学 分権史観の試み」(神戸新聞総合出版センター)
随願寺(Wikipedia) - 姫路市街北方に位置する増位山西南の山間にある。『播州増位山随願寺集記』(乾元元年・1302年成立)所収の寺伝によれば、厩戸皇子(聖徳太子)が高麗僧の慧便(えべん)に命じ開基した増位寺が前身であり、後に行基によって中興されたという。(記事より)
フランス人は文化財がお好き(372log@姫路) - 増位山の随願寺が国の重要文化財に指定されることになりました。(ブログより)
日本最古の寺院が姫路にあった?(372log@姫路) - 聖徳太子が574年に生まれていますが、姫路で修行していたかもしれません。国内には他に寺院がなかったわけですから・・。(ブログより) ← 峰相山鶏足寺(姫路市)の話題

B-1グランプリ in 姫路 まで、あと19日


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