2009年09月25日

和紙の一大産地だった播磨

杉原紙研究所播磨多可町

7世紀後半、播磨は、出雲美作美濃越前尾張と並ぶ製紙の先進地域で、播磨でつくられる紙は、播磨紙(はりまがみ)と呼ばれていました。

その後、平安時代には杉原紙(すぎはらがみ)と呼ばれるようになり、鎌倉では公文書用紙になりました。

杉原紙の歴史(杉原紙研究所)
鎌倉では、杉原紙は御下丈紙とか公文紙と呼ばれ、公文書用紙として用いられていました。 初めは幕府がもっぱら使っていましたが、次第に武家社会全般にも普及し、「武士は杉原紙以外の紙に文を書いてはならない」とされるようにさえなりました。
その後、室町江戸で全盛になりましたが、明治以降は衰退しました。

現在の播磨・多可町には杉原紙研究所が造られ、一時期途絶えていた紙すきが復元されています。製品も販売されています。

参考
道の駅 R427 かみ - 杉原紙研究所のお隣にある道の駅では、地元の名品・播州百日どりを使った定食を食べることができます。

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