2007年07月16日

播磨とは

播磨摂津国境(須磨浦山上遊園

「播磨(はりま)」という場合、兵庫県に統合されるまでの飾磨県があった旧播磨国の地域を指す場合と、西播磨中播磨東播磨北播磨の4つの県民局を合わせた地域を指す場合があるように思います。

神戸市垂水区西区は、昭和16年・22年に神戸市に編入されるまで、播磨の明石郡に属していました。そのため、神戸市には播磨と摂津の国境があります。
昨日行った、須磨浦山上遊園のリフトは、深い谷を渡って行くのですが、山上遊園側をはりま駅、ロープウェイ駅側をせっつ駅と呼び、その中間に、国境線が引いてあります。

山陽道に属していた播磨と、畿内に属していた摂津は、古代律令制制定時(701年)以来、長年にわたり国の骨格でした。その国境が曖昧になったのは、ごく最近のことです。

昭和16年に神戸市が国境を超えて垂水を編入する土台を作ったのは、明治9年の府県大統合。明治4年の廃藩置県の時には姫路県、明石県も存在し、また、名称を変え飾磨県として明治9年まで播磨国のエリアは維持されました。しかし明治9年に旧兵庫県(摂津の一部)が播磨と但馬、淡路を編入して現在の兵庫県に。畿内と山陽道を跨ぎ、かつ5つもの国を統合したのは不思議な気がします。

なぜ兵庫県は不自然に大きいか(近代姫路の財界・政界)によれば、徳川幕府と親しい姫路、豊かな播磨、国の戦略といった理由があったようです。

ともあれ、須磨浦山上遊園は、摂津と播磨の街並みと明石海峡大橋瀬戸内海の絶景を一望でき、「大播磨」を実感できる素晴らしいロケーションです。

参考
播磨とは
いつも新しい神戸(玉岡かおる:語る) - 県庁を置くなら、西国探題として繁栄を誇った大都市・姫路こそが妥当だった。ところが姫路はあいにく三百年間、徳川家の譜代大名が治めた国である。幕府色を払拭し、新しい国家を築こうとする新政府には、長い歴史を持つ姫路より、神戸の何もなさこそが都合よかったのだろう。(記事より)

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