2015年06月22日

なぜ、たつの市は「たつの」というのか

野見宿禰神社播磨たつの市

2000年近く前、垂仁天皇に仕えた野見宿禰(のみのすくね)という相撲の強い人がいました。
古墳に(殉死者の代わりに)埴輪を埋めるよう提案するなど活躍、やがてふるさと出雲に帰る途中、播磨で重い病に倒れ、亡くなりました。

「たつの」のはじまり(ひょうご歴史ステーション)
揖保川(いぼがわ)の河原から山の上まで、村人たちが一列にならんで、手から手へ、石をわたして運び、宿禰のために立派な墓を造りました。野原にたくさんの人が立ちならんで働いたので、その場所は「立野(たちの)」と呼ばれ、それが現在の「たつの(龍野)」のはじまりだということです。
宿禰の墓を造る時、野原に人が立ったところから「たちの」→「たつの」となったとか。
いまでも龍野公園近くに野見宿禰神社があります。

菅原道真を奉った神社は姫路だけでも5つ(大塩津田広畑九所御霊天千姫天満宮)ありますが、野見宿禰を奉った神社は、播磨と東京・両国国技館の近くにしかありません。

播磨と、相撲に代表される「廻し」文化の深い繋がりを感じます。

参考
ハッケヨイ 児童ら元気よく 兵庫でわんぱく相撲(神戸新聞NEXT) - 相撲は「日本書紀」に登場する宿禰と当麻蹴速(たいまのけはや)が古代、天皇の前で披露した力比べが起源といわれている。「播磨国風土記」によると宿禰は現在のたつの市で没したとされ、同市には墓や宿禰をまつる神社が現存している。(記事より)
姫路の秋祭り本格化。全国的にも稀有な「廻し」文化(372log@姫路)

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Posted by miki at 00:00Comments(2)観光