2013年07月25日

祇園祭のルーツ「祇園本社播磨国広峯社」

広峯神社姫路市広峰山

大阪の天神祭、東京の神田祭と並び、日本三大祭りのひとつに数えられる京都の祇園祭
今月1日から1ヶ月にわたって行われています。

[祇園祭]神輿「おかえり」(YOMIURI ONLINE)
祇園祭の神幸(しんこう)祭(17日)で八坂神社から四条寺町の御旅所に移った神輿(みこし)3基を、同神社に戻す還幸(かんこう)祭が24日、京都市中心部で営まれた。
(中略)
祇園祭は、31日に同神社の摂社・疫神社で営まれる「夏越祭(なごしさい)」で、1か月間の幕を閉じる。
祇園祭は、京都・八坂神社の祭りですが、姫路にも大いに関係があります。

広峯神社(姫路市広峰山)(姫路にある官兵衛ゆかりの地)
京都・祇園の八坂神社は平安時代に、都を襲った疫病を治めようと、広峯神社の神を移したとされており、都大路を彩る祇園祭もそのルーツは広峯にある。
一説に、姫路の広峯神社が、祇園社の総本社と言われています。

広峯神社(wikipedia)
貞観11年(869年)、当社から平安京の祇園観慶寺感神院(現在の八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)を分祠したとする説があり、貞応2年(1223年)の文書にも「祇園本社播磨国広峯社」とある。そこから祇園社(牛頭天王社)の元宮・総本社とも言われているが、八坂神社とは今なお本社争いがくすぶっている。
そりゃ八坂神社も必死でしょ。
広峯神社は、官兵衛ゆかりの地としても脚光を浴びています。

広峯神社(姫路市広峰山)(姫路にある官兵衛ゆかりの地)
官兵衛の祖父・重隆の代に黒田家は備前・福岡から姫路に移り、広峯神社の御師(おし)が配る神符(おふだ)とともに黒田家秘伝の目薬を売って財を蓄え、黒田家発展の基礎を築いた。現在も御師屋敷の建物が残る。
NHKは、広峯神社をどう紹介するんでしょうね。

参考
京都に学ぶ、姫路観光を首都圏に売り出す視点(372log@姫路) - 東京にいたとき、京都のブランド力は抜群だと感じたものです。京都は確かに歴史があり、文化的な価値もありますが、首都圏にだって鎌倉日光があります。そんな大騒ぎするほどのことでもありません。それに、古都といっても、歴史なら奈良播磨だって古い。
京都が必死になる相手(372log@姫路)

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Posted by miki at 18:18Comments(0)歴史