2010年12月07日

中国人も大好き。made in Japanの時代

立命館アジア太平洋大学(APU)別府市

年賀状の季節になり、卒後20年以上も経つのに、いまだ毎年のように賀状をいただく大学ゼミ教授の存在を思い出しました。ネットで名前を検索していたら、長崎大学 寺島実郎リレー講座の講師として引っかかりました。ご健在は相変わらずです。

長崎大学 寺島実郎リレー講座 第2回 第2部 いまなぜアジア太平洋か(川嵜昌子のブログ)
学生の半数は思い切って外国から受け入れよう、日本の諸君と外国の諸君がフィフティフィフティで生活をし、勉強をする環境をつくったら、国際化された人材ができるだろうと、そんな理想論を考えた。これがAPUのコンセプトの基本。
しかし、立命館大学は学生数が2万5千人ぐらいでできるはずがない、別の大学をつくってはどうかということになった。
立命館は京都にあるのになぜ大分県別府で学校をつくったのか。大分県の大学誘致に答えたというのが理由だ。
私はこの構想を知った時、理想はわかるがさすがに大分は厳しいと思いました。「大学関係者は、基本的に理想主義者(=非現実主義者)」という既成概念が強かったこともあります。その後、私の予想を裏切って大学経営は成功。

1997年のアジア通貨危機を乗り越えた、学園関係者の並々ならぬ努力があったのでしょう。私の予想は浅はかでした。

私の更なる浅はかな提案が許されるなら、茨木キャンパス一部移転で余裕のできるびわこ・くさつキャンパスに、第2のAPUをつくってはどうかと思います。
日本の人口重心の一つで、歴史と文化に近接する地域での第2APUは、別の意味で意義深いと思います。
当時の大分県同様、学生数減少で危機感を募らせる滋賀県草津市の協力も期待できるかもしれません。

一方、長崎大学リレー講座での財部誠一さんのお話に目が留まりました。

長崎大学 寺島実郎リレー講座 第5回第2部 東洋と西洋の逆転(川嵜昌子のブログ)
僕は、90年代、中国はぜったい発展しないと思っていた。90年代後半、チャイナドリームはないという本も出している。中国に進出した日本企業も9割方失敗した。
ところが、2000年を超えたぐらいから、もしかしたら、中国は張り子の虎から本当の虎になるかもしれないと思った。世界の工場としてではなく、日本の製品を買えるようになるかもしれないと思ったのだ。
(中略)
中国人は日本人が嫌いだが、日本製品は大好きだ。これが我々とは根本的に違うところだ。我々は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というメンタリティだが、中国人は「made in Chaina」が嫌いだ。
ついに中国は消費が爆発した。その確信は、台湾企業や韓国企業のビヘイビアからだ。
台湾のデジタルカメラのOEMメーカー、世界一のOEMメーカーの社長がこう言っていた。
「これから我々はビジネスモデルを変える。これからmade in Japanになる」
要は、部品を日本製にするということだ。
中国は世界の工場から日本の製品を買ってくれる大市場になる。中国人は日本人は嫌いだけれども、日本製品は大好き。
中国の消費が価格志向から品質志向へと変わっていて、また、それを可能とするぐらい中国人の購買力が高まっているとのこと。

財部さんは、「2010年の日本の成長率は3.6%で悪くないし、円高で損する人もいるが儲ける人もいる。つまり、世界全体における日本という位置づけを、冷静に、客観的に見ていくとそんなに捨てたものではない。」とおっしゃっています。

品質志向の流れの中で、「世界の大市場で、最後に勝者になれたのは、韓国製品でも中国製品でもなく、やはり日本製品でした」と胸を張って言うことができる近未来でありたいと感じました。

参考
関西大より立命館大のほうが近くなるかも(372log@姫路)
立命館大:経営学部、県外移転検討 県・草津市、地域経済へ影響を懸念 /滋賀(毎日jp) - 立命館大が15年4月に開設する大阪府茨木市の新キャンパスに、草津市のびわこ・くさつキャンパス(BKC)から経営学部の移転を検討していることが16日、関係者への取材で分かった。実現すれば大学院も含めた移転規模は4000人以上となり、地域経済への影響は避けられないとみられる。(中略)94年のBKC開設までに土地代と造成費計133億円(県94億円、市39億円)を助成した県と草津市は今月9日、「築いてきた連携に対する信頼を揺るがしかねない」として、地域経済への影響を最小限にするよう求める要望書を大学に提出した。(記事より)
  

Posted by miki at 00:00Comments(0)社会