2008年08月17日

「西の比叡」書写山円教寺が姫路にできた理由

円教寺 奥の院 開山堂(神戸観光壁紙写真集

昨日、西宮に行くために山陽電鉄直通特急に乗っていたら、高砂駅手前で列車が停まってしまいました。そのうち救急車やパトカーが来て、20分ぐらい列車は停まったまま。自動車との接触事故とのことで、運行再開後、東二見まで行って運転打ち切りとなりました。ぺちゃんこになった軽自動車は見ましたが、この事故だったのですね。

踏切で車立ち往生か 兵庫の特急衝突(MSN産経ニュース)

車内アナウンスがあるまで、事故があったとわからなかったぐらいごく普通に列車は停止しました。高砂駅手前だったので、すでに減速していたからかもしれません。亡くなられたかたには、ご冥福をお祈りしたいと思います。

さて、今日は書写山の話題です。総本山を比叡山延暦寺に持つ、天台宗の別格本山・書写山円教寺(姫路市)は、「西の比叡」とも言われ、比叡山大山と並んで天台の三大道場と言われます。

ところで、なんで姫路なの?

書写山に円教寺を開いたのは、性空(しょうくう)という人。名門・橘氏の一族に生まれ、36歳のとき出家しましたが、堕落した比叡山に愛想を尽かし再び出家、九州の山野で修行していました。あるとき、頭上にこれまでに見たことも無いような鮮やかな紫色の雲を見つけます。
やがてその紫雲がゆっくりと東に動き始めました。
性空が雲を追いかけて誘われるままに本土に向かいますが、雲がぴたりと止まったのが書写山の山上だったといいます。
性空が書写山を開山したのが57歳。98歳で天寿を全うするという遅咲きで生涯現役の人だったのですね。

その性空の死後つくられた性空上人の木製坐像が円教寺・奥の院 開山堂というところに鎮座しています。痛みがひどいこともあるのでしょうか、ふだんは一般公開されていません。
そしてこのたび、奈良の博物館の人が調査したら、坐像の中に本人の遺骨らしきものが見つかったそうです。

高僧像の頭部に遺骨か 兵庫・姫路の円教寺、X線撮影で判明(NIKKEI NET)
兵庫県姫路市の円教寺にある「性空上人坐像」(木製、高さ約90センチ、13世紀末)の頭部に、遺骨らしきものを収めたつぼが入っていることがエックス線撮影で分かり、奈良国立博物館奈良市)が15日発表した。
高僧の像に遺骨を収めたとされる例は、滋賀県大津市園城寺(三井寺)智証大師坐像(国宝、9―10世紀)が知られているが、科学的調査で確認されたものとしては最古級という。
性空が追いかけた雲が雪彦山(姫路市)の上に止まっていたら、今頃、姫路の小学生は、林間学舎でロッククライミングをしていたかもしれません。

P.S.
本日午後8時10分から、播磨太子町出身(姫路市出身との表記もあり)の竹澤健介選手(早稲田大学)が陸上男子10000メートル決勝に出場します。健闘を期待します。
竹澤選手を応援する垂れ幕(太子町)

参考
姫路育ちの証。親元離れて書写山で修行(ひめナビブログ)
雪彦山(Wikipedia) - 雪彦山(せっぴこさん)は兵庫県姫路市にある山。 弥彦山新潟県)、英彦山福岡県大分県)と共に日本三彦山として知られる修験道の地。日本百景ひょうごの森百選、兵庫50山、近畿100名山に選定されている。ロッククライミングの名所でもある。
紫雲を求めて(播磨伝説異聞)
北京五輪:報徳学園出身・男子陸上の竹沢選手ら、山田・西宮市長に抱負 /兵庫(毎日jp) - 竹沢選手は姫路市立大津中から報徳学園高に進み、高校駅伝で活躍。大学進学後、07、08年の箱根駅伝で区間賞を獲得した。箱根駅伝に出場経験のある現役大学生の五輪代表は44年ぶり。

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Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史