2008年01月01日

破綻した「夕張」と破綻しない「夕張」



新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

昨年、北海道の夕張市が財政的に破綻し、財政再建団体となりました。
夕張市が財政的に破綻した理由は、夕張市の起源まで遡ると割とわかりやすいと思います。

夕張市のある地は、もともと山の中で、人が住むようなところではありませんでした。この山の中に人が住むようになったのは、国策として石炭産出の地として開発されたためです。
石炭を掘り始めたときの人口が300人。それが1960年には12万人近くまで膨れ上がったのです。赤穂市の人口が5万1千人ですから、その倍以上の人が住んでいたことになります。

私が20年前、就職活動をするときに言われたことですが、「花形産業は時代によって変わる」。過去には石炭産業や繊維産業が人気で、エリート学生のみが就職できた花形産業でした。戦後復興の牽引車として、石炭産業は国から特別扱いされていたのです。
ところが国のエネルギー政策が変わって炭鉱が閉山すると、人口12万人が食っていくことはできません。もともと300人しか食ってなかった土地ですから、300人に戻して残りはどこかに引っ越してしまえば、最も自然なのですが、そうはしませんでした。
夕張市長は、閉山に伴う各種対策のための財政援助を国や県から引き出すことで、夕張は観光都市の道を歩みます。結局この観光事業が失敗し、巨額の借金となり首が回らなくなったというわけです。
もともと300人しかいなかった土地に国策で12万人住まわせた後、元栓を締めればそりゃ何やったって死ぬでしょうというのが基本的な夕張の歴史です。

夕張にはもうひとつの歴史があります。農業です。
夕張は山の中なので、耕地が極端に狭く、傾斜地で痩せた土地が多かったのですが、戦後の食料難から国の食糧増産運動が起こり、米を作る農家が生まれました。
ところが、米あまり時代の到来とともに、とても米づくりを続けられる状態ではなくなってしまいます。

そんな中で、なんとしても農業を続けようとした17名の農家が、1960年、市場で希少価値をよんでいたメロンに着目し、生産を始めます。1970年代、夕張メロンは高級レストランのデザートや贈答用品としてブランド化され、80年代に生産額10億円、88年には40億円を超えるようになりました。現在、夕張メロンは海外にも輸出されているそうです。

メロンを作っている農家は、夕張市が破産しようが無くなろうが、あまり影響ないそうです。
国の政策に振り回されるが補助金を引き出す能力には長けた人々と、国や行政に頼らず独立独歩でやっている人々が、破綻した夕張にも共存しているのですね。

世間では、「夕張の次はどこが破産するか」「あなたの街は大丈夫か?」と言われますが、

危険な町、リスクの高い町
1 明治以降に国策で造られたような、あまり歴史のない町
2 「炭鉱都市」のように、単一要素が街の多くを占める町(1枚看板)
3 補助金を引き出すのが上手な町

というのもありそうな気がします。
また、自治体が破産しても困らない人もいて、そういう人が多く住む地域ほどリスクが低い気がします。

もし姫路市が破産したとしても、姫路には困らない人がたくさんいるでしょうかね?

P.S.
本日8:30から山陽特殊製鋼(姫路市)も出場するニューイヤー駅伝があります。

参考
鷲田小彌太夕張問題」(祥伝社)
安富のプロジェクトX。おっちゃん、おばちゃんは立ち上がった!(ひめナビブログ) - 夕張メロンの歴史と話が被るなぁ。
山陽特殊製鋼、躍進狙う 全日本実業団対抗駅伝(神戸新聞)

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Posted by miki at 00:00Comments(4)政治