2007年06月07日

幻のコールサイン「JODR」

石見元秀像(手柄山中央公園

手柄山中央公園の頂上付近、太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔の北側に、銅像が建っています。リンカーンの銅像か?はたまたクラーク博士の銅像か?などと言っていてはいけません。姫路市名誉市民で元姫路市長・石見元秀の銅像です。

銅像には、次のように彫られています。
姫路市名誉市民 勲三等 石見元秀氏は、明治33年姫路市飾西に生まる
(中略)
昭和21年衆望を荷い、戦災焦土化した姫路市の市長に就任、爾来(じらい)二十有余年その職にあり、遠大な構想のもと独創的なる都市復興を実行し、大手前通りの建設、手柄山中央公園の開設、名古山霊園の創始、全国戦没者慰霊塔の建立等大姫路の雄図を確立せり

姫路偉人列伝には姫路に県庁を持ってこようとしたこともあったと書かれています。

いまでこそFM GENKIという姫路のラジオ局がありますが、石見元秀市長時代の1952年にラジオ放送局の構想があり、「姫路市営放送」として予備免許を交付されて開局寸前まで行っていました。
しかし市長と市議会との対立で期限までに放送施設を建設することができず、予備免許が取り消され、既に割り当てられていたコールサイン「JODR」はラジオ新潟に与えられました。
都市モノレールの先駆けとして1965年東京モノレールに次いで日本で2番目に開業した姫路市営モノレールに対し、さらなる建設推進を掲げましたが市長選で落選してしまいました。

石見元秀氏の銅像には、このとき建設反対を掲げて当選した吉田豊信(元姫路市長)の名が「発起人」として彫ってあります。そしてこのモノレール建設には一言も触れられていません。

モノレールについては不運もあったようですが、実行力・独創性・先見性3つ揃った名物市長で、姫路での石見ブランドは根強いものがありそうです。

P.S.
JR山陽本線の前身・山陽鉄道は、当初姫路からたつの市(旧龍野市)に向かう計画でした。ところが、住民が反対。山陽鉄道はずっと南を走りました。おかげで今でも旧龍野市はローカル路線の本竜野駅に頼らざるをえません。
当時の龍野の人は、その後の鉄道の重要性に気づく先見性がなかったのだと思います。もし石見元秀が龍野にいたら、どうしたでしょうか。
伊丹市は、空港反対の旗をやっと降ろしました空港格下げもなんとか先延ばしになりました。こういうところで明暗を分けていくんでしょうね。

参考
日本の銅像探偵団 - 見当たらなかったので、取り敢えず画像投稿掲示板に投稿しておきました。
空襲犠牲者を追悼する唯一の建物(ひめナビブログ)
幻の“姫路市営ラジオ”の話。(迷馬の隠れ家)
予備免許を交付されながら開局できなかった放送局(wikipedia)
モノレール構想と推移(麗しの姫路モノレール) - 姫路を中心に瀬戸内海と鳥取を結ぶ壮大な構想だったようです。

← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります  

Posted by miki at 00:00Comments(0)歴史