2006年11月12日

日本民族学の父は、播磨の生まれ

 柳田國男生家播磨福崎町

出張で寄り道すると発見があるというお話。

福崎/出張の寄り道

播但線、というこれまで縁のなかった鉄道路線に、仕事の関係で乗ることになった。
(中略)
さて、目的地のお客様の最寄り駅に近づいたが、どこかでお昼を食べる必要がある。少し時間があるので、そのまま乗り越して、
福崎、という町に行ってみることにした。なんの予備知識もないが、このあたりでは一番大きな町であろうと思い、この駅で降りることにした。駅前には「日本民族学の父、柳田国男生誕の地」との看板が立っている。思いがけないことだが、この町が、かの柳田国男の生まれた町だったのか。
生家が残っており、記念館もあるという。

柳田(やなぎた)國男は、姫路生まれの歌人、国文学者・井上通泰の実弟で、NHK
その時歴史が動いたでも取り上げられました。妖怪研究も行ったようですが、東洋大学創始者の井上円了が「人々が古臭いオカルティズムを信奉している限り、真に新しい時代はやってこない」と考え、駆逐するために研究したのとは逆の立場。日本が近代化の課程で大事なものを失うことを危惧したようです。

参考
正夢の正体・東洋大創始者の実績(ひめナビブログ)

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Posted by miki at 01:12Comments(2)文化