2006年04月02日

神戸にアムステルダムから船が来なくなった本当の理由

1970年代、世界有数の国際貿易港だった神戸港

1 神戸港は震災で駄目になったのか

1995年に起きた阪神・淡路大震災は死者6000人もの尊い犠牲を出しました。改めて犠牲者のかたにご冥福を祈りたいと思います。
とくに神戸市は震災により大きな影響を受け、「復興」一筋で頑張ってきました。

1988年から1998年にかけてのアジア諸港のコンテナ取扱量推移を見ると、香港シンガポール高雄釜山が伸び、横浜の伸びが少なく、神戸が減少しているのがわかります。
杉浦一機著「空港大改革」(中央書院)55頁にあるグラフには、さらに10年前・1978年のデータもあるのですが、神戸はシンガポール、高雄、釜山、横浜の3倍のコンテナを運んでいました。
その頃の神戸は、アジアを代表する世界有数の国際貿易港として広く世界中に知られていました。しかし10年後の1988年には香港、シンガポール、高雄に抜かれ、釜山にも追いつかれました、さらに10年後の1998年にはシンガポールの7分の1に。こちらの資料によれば、2003年には9分の1になっています。

これを見てわかるのは、1995年に起きた震災は神戸港にダメ押しをしたに過ぎないということ。つまり震災前に復興しても、かつての世界有数の国際貿易港には戻らないと言うことです。

杉浦一機著「空港大改革」に興味深いエピソードが載っています。
ヨーロッパの荷主が請求書を見て不審に思い、日本の船会社に問い合わせたそうです。なぜなら、アムステルダムから神戸の運賃よりも、神戸から札幌の運賃のほうが高かったから。
ところが、返信を見て驚きます。なんと間違いではなかったというのです。
日本の国内運賃が国際運賃に比べてベラボウに高いのが原因。その荷主は、次から韓国経由にしたそうです。

日本で中継比率が最も高いのは神戸。つまり少しでも安く中継できれば簡単にそちらに流れてしまいます。国内の他の港に比べてコストの影響を最も受けやすかったということです。

1981年にポートピア博が開催され、「あの頃が神戸の絶頂期だった」という声を聞きますが、神戸港の絶頂期と見事に符合します。

神戸新聞の記事を読むと、阪神・淡路大震災が神戸港衰退の原因かのように誤解しますが、震災と直接関係無いことは明白です。

2 東神戸は独立すべき

シンガポールがすごいのは、戦略がしっかりしていること。人口はたったの350万人しかいないため、物事を決めるのもとにかく早い。
対して日本は、人口1億以上いるし、規制を緩和しようとしても、いちいち東京からも大阪からも神戸に横槍が入る。すばやく競争できません。

西神戸(垂水区西区)を除いて、神戸港に関わる東神戸(人口100万人)が日本から独立でもしないと、シンガポールに対抗できないと思います。「神戸」がわかりにくくなったのは、港と関係無い要素を加えていった(例:農業生産量は県内最大)から。神戸を再び世界の神戸にするには、東神戸の日本からの独立(経済特区化。企業で言うと分社化、または、社内ベンチャー。)しかないと思います。

日本の戦略性の無さは絶望的ですが、唯一の可能性を感じるのは神戸です。明治政府が何も無いところに外国との窓口を造ろうと港を造ったのが事実上の神戸の始まり。無から有を創るのは神戸のDNAです。何の資源もないシンガポールに似ています。

参考
有効求人倍率に地域格差(372log@姫路)- 神戸港の取扱高は名古屋に次ぐ4番目。一部は大阪にも抜かれ始めた。

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Posted by miki at 02:49Comments(4)交通